ごみと青い岩

美しい茅葺屋根の古峯神社と雄大な古峰園

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ちょうど1年前くらいにGoogle map で見つけた「古峰神社」。

これマジ行けるんか?と少々疑ってしまう雰囲気の場所。

でも、茅葺の屋根がとても印象的でずーっと行ってみたかった。

 

地図で確認できる場所は山の中も山の中。

 

 少々不安だが、早速行ってみよう。

www.furumine-jinjya.jp

 

久しぶりの雨 濡れた景色が写欲をそそる

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行ったのは2週間前くらいかな?丁度この日は雨が降っていた。

 

大鳥居を撮るにもレンズに水滴がのらないように慎重に撮る…。

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この日は久しぶりのガッツリ雨で、防滴のPENTAX K-3も喜んでいる(大嘘)。

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どうやらここは天狗伝説が有名なようだ。

高尾山や、去年行った迦葉山を思い出す。

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blue-rock53.hatenablog.com

 

濡れた緑のしっとり感やこの色乗り…良いなぁ。緑を撮るのが楽しい季節になってきた。

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しばらく境内を進んでいると、いよいよ大拝殿に到着!おおお!茅葺だ!

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この雰囲気は神社では珍しい気がするのだが、全国探せば結構あるもんだろうか。

前に行ったこことか↓くらい

blue-rock53.hatenablog.com

 

今度、他の茅葺がある寺社仏閣も探してみよう。 

 

ヤマトタケル伝説と古峰神社

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さて、この古峯神社はあの東国等を討伐したヤマトタケルを祀る神社だ。

今から1300年以上前、京都から来た藤原隼人なる人物がいきなり「ヤマトタケル様祀るで」とはじめたのが起源のようだ。

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いまいち藤原隼人って人物が、調べてもはっきりしない。

公式HPにはあくまで「隼人」となっている。

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「隼人」だけで調べてみると、古代において九州の熊本や鹿児島に住んでいた人々のことが出てきた。

 

ヤマトタケルは、東国征伐の前に「熊襲(クマソ)」という九州の人々を征伐したという神話が古事記日本書紀に描かれているという。

この「熊襲」なる人々は、「隼人」をモデルにされたと考えられているらしい。

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 実際、隼人も朝廷に反抗したりなんかもしたようだが、最終的には討伐されて朝廷の支配下に組み込まれたようだ。

 

mykoho.jp

 

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 隼人の一部には、京都に移住させられたりもしたらしく、官職としても「隼人司」なるものが設けられている。

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もしかして、起源に関係した隼人もこの隼人が関係しているかもしれない…?

 

山の中に開かれた庭園

古峰神社の隣には、古峰園という日本庭園がある。

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1977年につくられた庭園ということで割と最近の庭園ではあるが、とても雄大で美しい庭園だった。

www.furumine-jinjya.jp

 

受付のすぐ近くには川も流れ、神社からはまた雰囲気が変わる。f:id:blue_rock53:20210506230658j:plain

 

一面の苔。これは撮らずにはいられない。

実は古峰園なる庭園があることは知らずに来ていたため、この先にどんな景色があるかこの時は知らない。が、これで一気に期待値が上がる。f:id:blue_rock53:20210506230718j:plain

 

森を抜けると…これである。

緑の中に浮かぶしだれ桜、背景の山々と相まっての雄大な景色…。これは美しい…。

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これはむしろ雨で良かったなぁ。

 

ピーカンな天気より、この天気の方が厳かな雰囲気がある。あるよね…?

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池の周りをぐる~っと歩く。

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こういう緑の出方がやっぱり良いよね。

あ~やっぱりK-3Ⅲ欲しい。

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緑もいいけど、このしだれ桜の桜色も色が濃くて美しい。

周りが緑だからここそ余計に映えるものだ。

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庭園にはもっと望遠を持ってきても楽しいだろうか。

でもやっぱり広角や標準画角が好きだから、買うレンズもついついこの辺りが多い。

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雨の水滴が滴るしだれ桜。少し霧がかった背景の杉林も幻想的だ。

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え、これ300円でいいんですか?

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久しぶりに全身濡れながら写真を撮ってしまった。

学生の時には時々やったものだが、たまにはこういう事もしないとな!

いつまでも大きい男の子でいるために。


冗談はさておき、車のアクセスも一苦労な古峰神社。

こちらへお越しの際は、ぜひとも古峰園もセットでご拝観くだされ。

 

 

本日はここまで。

 

ネモフィラ × PENTAX ~ひたち海浜公園~

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今回はもはや誰もが知る、ひたち海浜公園ネモフィラ

 

いや~前回まで足尾銅山ですぞ?

この振れ幅どうする? 

 

でもここはブレずに載せておきますGoogle Map。

 

お決まりの公式HPも。

hitachikaihin.jp

 

想定のハードルを軽く超える美しさ

朝6時に群馬を出て、8時過ぎに到着。

混雑を警戒してきたのだが、まだまだ想像より人は少ない。

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それにしてもすげー!一面のネモフィラ

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インスタやテレビなんかでよく見かける場所だから、ある程度期待した状態でここに来た。でもそのハードルを軽く超えてくる美しさだ。

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こりゃずるいや。

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人を入れても

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縦に撮っても

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寄っても

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何したって綺麗に写る。何だか逆に撮る意欲を吸い取られていく…。

 

私のように引き出しの少ない人間は、このように似たような写真ばかりしか撮れない…。

せめてもの抗いは、PENTAXという少数派で撮ることくらい(クソ雑魚)。

 

そうそう。ネモフィラにすっかり気を取られていたけど、海もすぐそばにある。

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海と空とネモフィラと。当ブログのテーマカラーでもある青尽くしだ。

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 戦争と切り離せない場所

 恥ずかしながら初めて知ったのだが、ここひたち海浜公園は戦争とは切っても切り離せない場所だった。

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1938年に水戸陸軍飛行学校が設置され、飛行場も整備された。

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その後、この飛行学校は仙台に移るが、三重の明野飛行学校の分校として利用されるなどし終戦に至った。

戦後は、アメリカ軍の射爆場として利用されたらしい。

 

www.hiraisokan.jp

 

軍用機の射撃や爆撃の演習場になっていた(アメリカの領土だった)訳だが、1973年に日本へ返還され、公園として整備されるに至ったという。

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ちなみに、射爆場跡は現在 砂丘エリアになっている。

 

↓こんな感じで砂がふかふか。

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 今となっては年間200万人(コロナ前まで)が訪れる観光地だ。

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昨年度はコロナの影響で9年ぶりに100万人を割ってしまったようだが、これだけの美しさならばコロナ収束後すぐにV字回復となりそうだ。

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正直、この時期は混んでるし、ミーハー(死語)が行く所だと思っていたが、本当にごめんなさい。

とても素敵な場所です。

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私はこのネモフィラ管理担当になったら重圧で胃潰瘍になりそうだが、毎年これだけ美しく咲かせるスタッフの皆様は本当に尊敬だ。

 

私のように少し敬遠していた人も、ここはぜひ直接訪れてみて頂きたい。

 

では、本日はここまで。

”鉱都”足尾の跡を巡る No.2 ~旧小滝地区~

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さて、"鉱都"足尾の往時の姿を廃墟から妄想した前回。

blue-rock53.hatenablog.com

 

今回で足尾巡りも終わりだ。

気合入れていくぞ。

 

 

小滝坑跡と旧小滝橋

 

江戸時代のに掘られた旧坑だった小滝坑。

明治になり足尾銅山を買い取った古川市兵衛は、ここを再度掘り進めることにした。

 

そのおかげで小滝地区は一時1万人以上の人口を誇る集落にもなったという。

 

その小滝坑から鉱石を運搬する機関車用の橋が、旧小滝橋だ。

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 大正15年に架けられたという旧小滝橋

 

橋の奥には小滝坑が見える。

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このたくさんのトラス。堪らんですな。

シンプルでモダンな橋も良いけど。

 

あちら側には道路を歩いていけば近くまで行けそうだ。 

 

ということでこちらが小滝坑。1954年に閉じられて以降、小滝地区も消え去っていってしまったようだ。

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 ここには橋の上にはもう無かった軌道も残っているぞ。

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 しかし、この辺りだけで1万人も人口がいたとは想像ができない。

それだけ大正頃までの銅山採掘には人手が必要だったという事だろうか。

 

小滝火薬庫跡

小滝坑のすぐ近くにもう一つ行きたい場所が。

 

ここ。小滝火薬庫跡。

採掘用の火薬を明治頃に保管していた場所らしい。

しかし、入り口が分からない。

 

はてさてどうしたものか。どこから行くことができるのやら…とカメラを片手にふらふら。

 

すると、小滝橋の脇に細い道を発見。 道…?だよな…?f:id:blue_rock53:20210421213313j:plain

 

あったー!

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いやいや案内板よ、もっと前へ。

こんな場所に火薬を置いていたのか。結構ガバガバだな…警備員とかいたのだろうか。

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そして、このオーバーハングした岩を見てふと思う。

これ、なんか登れるルートがありそうだな…とついクライマーの発作が。

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下からじっくり岩を見上げ、「この辺からスタートして… あそこ持って…あれ?これやっぱ登れそうじゃね?」と独りつぶやく。

 

そんなことをしながら自分なりにルートを想像しながら、目線を上にやっていくと…。

 

あ。やっぱりあった。

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これはクライミングの際にロープを掛ける支点だ。やっぱり登る人いるんだなあ。 

 

さて、銅山関係に戻る。火薬庫跡のすぐ近くには、削岩機のトライ跡が。

集合体恐怖症の方々すみません。

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前々回に紹介した↓これだ。たぶん。

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3回も体験しておいて良かった。この穴を見てすぐにピンときたもの。

良い子のみんなも、足尾銅山の削岩機体験コーナーはやれるだけやろう。

 

小滝選鉱所・製錬所近くの社宅跡

 小滝坑の方から下ってきて、小滝を見に行くつもりだった。

 

 

上から降りてきて目についたこの階段跡。きっと選鉱所・製錬所跡の一部だろうと思っていた。

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「何だか思っていたよりも基礎やら色々小規模だなあ」なんて思いながら写真を撮っていた。

気になって帰ってから色々調べていたのだが、ここは青葉寮という社宅の跡だったようだ。

 

www.arinoki.com

 

とりあえず、登れる階段があれば全部登り、行けそうなところは全部行く。

 

それが今日の相棒PENTAX K-3との合言葉。

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最初の階段を登り終えると少し開けた場所に出る。

う~ん…わずかにコンクリートの基礎が残るのみ。

 

少し歩くとさらに上に行ける階段を見つけた。

冒険心を思いっきりくすぐられながら、倒木をくぐる。

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むむむ。まだあるぞ!登れぃ!

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ここはだいぶ基礎が残っている。

2回ほど階段を登ったが、どの場所も山にへばりつくように建物があったようだ。

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あまり広さも高さも無い長屋ベースな社宅だったのだろうか。

 

おおお!何だか釜戸らしいものがあるぞ。

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青葉寮の共同釜戸だろうか?さすがに製錬関係の設備にしては小さいだろうし。

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釜戸付近に落ちていた欠けたレンガ。

「MINOYO...」と読める。レンガのメーカー名?ネットでは検索にヒットしなかった。

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レンガオタクの方、情報お待ちしています。

 

こんな感じで山を歩きながら写真を撮った1日であった。

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さすがにお腹がペコペコ。よく歩いた一日だった。

 

シンプルな旨さ ないとう食堂

ということで、足尾の町から離れて少し北上。ないとう食堂へ。

 

タンメンとソースカツ丼が有名なのかな。これを頼んでいる人が多かった。 

 

しかし!私は野菜炒め定食。厨房から聞こえてくる炒め物の音にやたらにそそられてしまいチョイス。

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 これが大正解。なにこれ。なんでこんな旨いんですか?

 

少しニンニクも効いているのか、どうにも箸が止まらない。シンプルなんだけど家ではなかなか再現できない旨さ…。

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連れはソースカツ丼をチョイス。これまた旨い。

ソースカツ丼というよりも煮カツとソースカツの間みたいな。肉汁とダシとソースがじゅわっと染み出してくる。

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 足尾や日光方面に行く際はぜひお立ち寄りを。

 

3回も足尾だけで書いてしまった訳だが、まだまだ見たい所はたくさんあった。

これら以外にも、鉱都として栄えた跡は散らばっている。

 

これからも少しづつ、足尾の往時の足跡を辿っていきたい。

 

 

では、本日はここまで。

”鉱都”足尾の跡を巡る~小滝小・第三中学校跡他~

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さて、前回は坑道の跡を見学した足尾銅山

いよいよ本丸の廃墟巡りだ。

 

blue-rock53.hatenablog.com

 

写真のデータを見返すと記憶以上に写真を撮っていた…。

ということで足尾銅山は3回に分けてお送りする。

 

何だか海外ドラマみたいになってきたな…。いつのまにかシーズン3まで決まっているなんて。

 

 

 小滝小学校・第三中学校跡 

いきなり今回の目玉からいくぞ。

学校”跡”という響き。う~んなんともロマン溢れる。

 

さてさてやってきた。きちんと公式の看板が立っている。

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 ここを上がっていく…のか?階段の面影がうっすら残っている。

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なかなか当時の写真が無かったが、足尾中学校の公式HPに写真があった。

www.nikko.ed.jp

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足尾中学校HPより引用

今度はきちんとした階段に到着。写真下側から伸びる坂道が右斜め上に向かって折り曲がっている階段がここだろう。

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階段を登った所には、校門の残骸らしきものが残る。

写真でも校門のようなものがうっすらと確認できる。

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再び当時の姿を振り返る。

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足尾中学校HPより引用


ここが階段を登り切った広場にあたる所と思われる。

奥には左側校舎の石垣跡が見える。

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思っていたよりも全然面影があるじゃないかっ!

いや~興奮が抑えきれない。

 

かつてはここにも多くの子どもたちが学び笑いあっていたはずだ。

今となっては基礎からしか想像ができないが、当時通っていた人が見ればすぐに思い出せるのだろうか。

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第三中学校は昭和28年(1953年)に閉じられたようなので、まだ当時通っていた方も生きていらっしゃるはずだ。 

 

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ここは恐らく右手前から奥に伸びる校舎の基礎だろう。

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足尾中学校HPより引用

この石垣は左側の校舎付近にある石垣だろう。

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ここは階段もしっかりと残っていた。

 

当時の写真を見てからでないと想像がしにくいと思うので、実際に行かれる際には上の当時の写真を見てから行くと良いだろう。 

 

旧鉱盛橋跡と坑夫浴場跡

 続いてもう少し北上する。

 

地図でピンを打った所には旧小滝支局木橋の案内板があるが、痕跡を確認できるのは旧鉱盛橋の跡だ。こちらが現在の鉱盛橋。

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道端の古い道標には「くわうせいばし(こうせいばし)」と読める。

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橋があったのならば、と橋脚跡を探してみた。

恐らくこれだろうか?

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もう少し歩くと、坑夫浴場跡がある。

 

仕事帰りにここで身体の汚れや汗を洗い流したのだろう。

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もっと銭湯くらいあるのを想像していたが、これでは4人くらいしか湯船につかれなくないか?

 

どうやら外堀のような部分で身体をいったん流し、その後に内側の湯船につかるという仕組みだったようだ。

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銀山平社宅跡

最後はこちら。

 

ashiodozanworldheritage.net

 

ここ銀山平には、↓のように数多くの長屋形式の社宅が建っていたようだ。

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足尾銅山世界遺産登録を推進する会HP 産業遺産の見どころ より引用

 今となっては石垣くらいしか残っていない。

ちょっと残念ではあるが、下調べをしておかないと意外と何気なく通り過ぎてしまいそうだ。

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少なくとも社宅の跡だとは想像しないだろう。

過去の写真からは一帯が完全な街を形成している様子が分かるが、今はもう山の一部に帰りつつある。

 

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石垣の上にも、基礎等の遺構もほとんど存在しない。

 

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もはや、ここで生活していた人々の痕跡は皆無に等しい。

 

過去の記録や写真が無ければ、あっという間に忘れ去られてしまう。

これがもし自分の故郷だったら、ここで幼少期を過ごしていたら、この景色を見てどう感じるのだろう。

 

「歴史の流れだから」と素直に受け入れられるのだろうか…。

 

子ども時代の遊び場が宅地開発で見る影も無くなっただけでも、私は一抹の寂しさを感じてしまう人間だ。

とても容易には語れまい。

 

次回でひとまず足尾の町巡りは最後となる。

 

 

では、本日はここまで。

足尾銅山 栄華の足跡を辿る~銅山跡編~

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2年越しの計画 足尾歴史巡り

2年前からずーっと行きたくて仕方がなかった足尾銅山

 

しぽしぽとグーグルマップで行きたい所にピンを立て続けてきた。

銅山跡の坑道観光はもちろん楽しみなのだが、やっぱり 鉱山の町の痕跡を辿ることが何よりの楽しみだ。

 

今回と次回の2回に分けて、「日本一の鉱都」と呼ばれた足尾の銅山と町の往時の栄華の足跡を辿りたいと思う。

 

1日で回れたのは行きたかったスポットの約半分。。。

青のピンがそのスポットだが、左半分しか行けなかった。リベンジ確定ですはい。

 

そんな中でも今回は、足尾銅山の坑内に入れる場所をメインに書いていきたいと思う。

 

いざ入坑!リアルな人形たちと共に足尾銅山の歴史を辿る

 

日光市のもの以外HPが見当たらないが、一応貼っておこう。

www.city.nikko.lg.jp

 

1610年、江戸幕府の直轄支配下に置かれ本格的な採掘が始まった足尾銅山

1973年に閉山するまで約360年もの歴史をもつ。

 

中でも、最盛期を誇ったのは明治後半~昭和初期で、国内の銅産出量の4割を占めていた。それに伴い、大正5年には足尾町だけで約3万8千人の人口を誇ったという。(合併し今は日光市の一部だが、その日光市も人口は約8万人だ)

 

そんな足尾銅山には、3つの坑口が存在していたが、この観光施設では「通洞坑」からトロッコに乗って入ることができる。

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こんなトロッコに乗る訳で、気分はインディ・ジョーンズそのもの。

後ろから「ジュニア!」というインディ・パパの声が聞こえてきそう。

(すみません。最後の聖戦が好きな人です。)

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来たー!!!想像以上にそのままではないか。

いざ入坑!

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うひゃ~暗い。X100Fの高感度耐性に思いっきり頼るぞ。

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さきほどの入り口が遠くに見える。

ここから先は歩いて坑内を巡る。

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ぐぬぬ。行ってはならぬと書かれていると行きたくなr…んんん!?

1200キロ!?多分枝分かれした坑道の総距離なのだろうけど、群馬ー大阪間の2倍以上だぞおい…。

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まあ400年も掘り続けたらそうなるか。

 

人形労働者と共に採掘の歴史を知る

中にはかなりリアルな人形たちが採掘に勤しんでいる。

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このあたりはまだまだ江戸時代。何から何まで人の手で行われる。

そして、江戸時代の坑だからなのか、少し天井が低い。

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きちんとお役人が見張る。

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坑内は絶えず水が染み出してきており、見学通路ももちろん水が滴り落ちてくる。

それは昔も同じのようで、このように水を運び出す人がいたようだ。

辛そう。いやこんなに軽く辛そうとか言えるレベルではないよな。

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この顔である。

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この水の影響もあって、坑内の一部にはこうして茶色く銅が蓄積した部分や

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硫酸銅が青く蓄積している。

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このあたりから明治・大正ゾーン。

うん。一気に近代化した。

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江戸時代末期には産出量が激減し、廃山同然で新政府が引き継ぎ、民間に払い下げられた。それを買い取ったのは、古川財閥の創業者である古川市兵衛だった。

 

何年も赤字を垂れ流しながらも、大鉱脈を見つけたり、第一次大戦による産業の発展や好景気の勢いに乗り、大銅山に育て上げた。

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古川財閥は、現在の富士通横浜ゴム、アルミ板国内トップのUACJ等、今でも日本経済を引っ張る企業の祖先となった財閥だ。

というか、鮎川財閥日立製作所などを生み出すその後の日産コンツェルン)は日立鉱山住友財閥別子銅山等から見るに、今の日本経済の礎の一つを築いたのは「銅」だったといっても過言ではないだろう。

 

もちろん、財閥によるカルテルや富の集中が起きたこと等、闇の部分があったことも忘れてはいけないけども。

それは銅山も同じだろう。

 

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足尾銅山といえば、田中正造や公害のイメージが強い。

これは、日本の産業発展の歴史にとって忘れてはならない闇の部分だ。

 

しかし、同時に光の部分があったことも忘れてはならないように思う。

こうして銅山の採掘による技術の発展、資本の拡大は、日本の現在の産業や経済に大きな影響を与えているのだから。

 

と思いながら、明治初期にタイムスリップしたら銅山を買い占めるという私欲たっぷりな事を心に決めた。

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古河の紋が入った銅のインゴット。いやー重い。

20kgだったかな?片手では無理だった。

 

そしてこの掘削機の体験コーナー!!!実際に掘れるわけではないが、振動を体験できるぞ。これには興奮を隠しきれず、三回はやった。

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おまけ 足尾でつくられた寛永通宝

江戸時代の一時期は、国内や世界でみてもトップクラスの産出量を誇った足尾銅山

しかし、1700年代から産出量が減少し始める。

 

そこで江戸幕府は、鉱脈をみつける山師の救済のために貨幣の製造所を足尾に設けた。

 

その時の歴史がこれまたリアルな人形と共に紹介されている。

坑道を出た場所にミニ展示館がある。

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江戸時代の貨幣とはいえ、かなり丁寧につくられていたことを知り驚いた。

 

汚れを落とすのに洗うのはもちろん

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何度か検品の工程を踏みながら重量や形を丁寧に整えていく。
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 日本の紙幣が精巧であることはよく聞くが、ルーツは江戸時代の貨幣から続いているのだろうか?

 

ということで、この1カ所だけで1記事書いてしまった。

次回は、いよいよ鉱山都市の痕跡を辿っていきたい。

 

では、本日はここまで。

 

のんびりと房総を巡った記録

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年末にちらっと千葉へ帰った際、久しぶりに旧友たちと房総を巡った。

すっかり忘れていたのだが、結構好みの写真が撮れていたので、備忘録代わりに載せておこうと思う。 

 

おせんころがしの足元で

 

勝浦にある崖、おせんころがし。

この崖には旧国道があり、昭和の初めごろまでは難所とされていた。

 

 

おせんころがしの由来はここにある通り。

www.pref.chiba.lg.jp

 

”おせん”は、このあたりを治めていた豪族の娘のことだ。

 

おせんの父は、ある時から年貢をつりあげてしまうなど、やりたい放題していた。

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それにより苦しむ人々に心を痛めていたおせんは、何度も父へ年貢を下げるように頼んでいた。それでもちっとも父は話を聞いてくれなかった。

 

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そのような中で村人たちの怒りはピークに達していた。そこにやってきた秋のお祭りの日。

祭りで酒を飲み寝てしまったおせんの父を、村人たちは担ぎ上げて崖から放り投げてしまった。

 

「悪党領主マジ乙www」

 

とウキウキな村人たちは、祭りの翌日崖の下へ遺体を確認しに行った。

すると、そこには何故かおせんの亡骸があった。

 

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そう、おせんは父の服を身にまとって身代わりとなっていたのだった。

おせんは皆に親しまれていたため、村人たちは自分たちの行いを大いに悔いた。

またそれは、おせんの父も同様だった。

以降、この崖はおせんころがしと呼ばれるようになったという。

 

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果たして、おせんが亡くなった後は領主も心を入れ替えたのだろうか。

 

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おせんころがしの下には漁港があり、このようにのんびりと歩きながら小さな漁村の雰囲気を写真に収めることができる。

 

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ちなみに、今は封鎖されている旧国道の入り口はこんな感じ。

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さすがに入れん。。。

一度は旧国道に立ってみたいものだが、これは叶わぬ夢だろう。。。

 

鵜原海岸にある白い鳥居 夕日とのコラボで心洗われる 

 

ここは知らなかった。こんなあからさまな映えスポットあったのか。という感じ。

 

場所はここ。

 

いや~やはり房総の砂浜は綺麗だ。

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海の色も幕張何かと比べ物にならない。

というか、外房になるだけで急に海がきれいになるよね。

 

おおお!見えてきたぞ!

 

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これは強い(インスタ的に)

 

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こりゃ絶対200mmくらいの望遠持ってくるべきだ。

こちとら28mmやぞ…足で稼g...(ザザァーッと迫りくる波)。

 

でもどうやって撮ったって綺麗になる。

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たとえこの鳥居が無くとも、久しぶりに友と見つめる夕日の海は、色々とおセンチな気分にさせられる。

あの頃からずいぶん時は経ったけど、話す内容は変わらずくだらない。

 

脳内活動領域の0.01%くらいしか使わない会話。

 

やはり千葉はいつまでも故郷だ

 

完全なリピーターとなった クジラ料理「ぴーまん」

何回目ですか、という感じだよね。

 

でも仕方ない。ここは房総に来たら寄らねばならない場所。

税金と同じ。義務なのだ。

 

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いいから黙ってこのくじら漬け丼を食え。

何も語るまい。

 

もちろん、ほかのメニューでも絶品だが。 

 

 

あ~また千葉へ帰りたい。

フォーエバー 千葉。

 

では、本日はここまで。

 

桜のトンネルが出現する栃木県は宮の桜へ

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桜のシーズンに向けて3月頭から入念な桜スポットチェックをGoogle Mapで行ってきた。

いやはや群馬・栃木エリアも桜スポットが多くて目移りしてしまう。

 

今回は、栃木県栃木市の宮町にある「宮の桜」へ行ってみることに決めた。

理由は、川沿いの堤にある桜並木が、故郷は千葉 船橋の海老川沿いを思い出したから。

最近はコロナでさくら祭りもやってないかな?

 

何はともあれ、コペンの屋根を開けて出発!

 

不覚!久しぶりのSD忘れ!からの有意義なまわり道

 

1970年代に植樹されて育てられてきた桜だというが、とても立派な育ち具合であることは下調べで分かっていた。

しかも、桜並木は1.5kmもあるようだ。

 

www.tochigi-kankou.or.jp

 

ちなみに、駐車スペースは橋の近くのこのスペースのようだ。

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さて、去年は撮れなかった桜。気合を入れていくぞ!

 

 はい!ということで到着しましたコメリ栃木大森店。

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何故かって?久しぶりにこれをやらかしたからさ…。

 

 

とりあえずツイートして笑いに変換しようとする訳だが、片道1時間かけてきたのにこれはこたえる…。

だがしかし!この程度で撤退の二文字は無し!大和魂を見せつけよ!

 

ということで30分ほど歩いてコメリで良く分からんクソ安SDを課金。

ついでに隣のスーパーで昼食も。

 

おにぎり片手に宮の桜堤方面へとぼとぼ歩く。

すると良い感じの桜が見えだしてテンションが上がる。

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そういえばこんなに歩いたの久しぶりだ。群馬に来てからというもの、すっかりクルマ社会に染まり切った。本当に歩かないよな。

でもやっぱカメラ片手に歩くってのは原点だなあ。

 

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初めてこのK-3を買った学生時代。

まあお金が無かったから、通学定期の範囲や、定期外から少し外れた街を散歩しながら写真を撮っていた。

 

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何だか少しそんな思い出が蘇ってきて、SDカード分の代金は回収できた気がした。

いや、たぶんお釣り来てるわ。そういうことにしよう。

まあ、こんなに人がいない桜を好きなだけ撮れるのだからやっぱりお釣りも来てる。

 

この土手を強行突破すれば元の場所に戻れるかと思ったが、少し進んで藪に阻まれた。

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うお!菜の花!このあたりが急に館山に感じてくるぞ。

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桜と菜の花。ピンクと黄色。今しか見れない、春らしくてかわいらしい組み合わせだ。

 

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台風19号(2019年)の爪痕

 しばらく歩いていると、ようやく永野川の土手にたどり着いた。

 

うわー!今度は梅の花と桜のコラボだ。

これもこのエリアではここだけ。やっぱりSDはあえて忘れてきたんだな。

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 この日は風も強くて桜を撮るのには難しいコンディションだ。

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これだけ花が咲いていると枝全体が重くなっていて、風で一度揺さぶられるとなかなか止まってくれない。

 

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おや、なんだか川が想像と違う姿をしている。

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ん?災害復旧?

もしや!と思い後で調べてみると、やはり2019年の台風19号の復旧工事だった。

 

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渡良瀬川は記憶にあったが、永野川の氾濫も橋が流されたり、甚大な被害をもたらしたようだ。 

 

www.pref.tochigi.lg.jp

 

 令和5年の復旧完了ということで、まだまだ先は長い。

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そんな爪痕が残る永野川を見ながら、再び歩き始める。

 

桜のトンネルが続く堤へ

やっとメインの堤に戻ってきた。長かった・・・長かったぞ・・・!

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やがて舗装がされた道に出る。

 桜に合わせてピンクの服を着てきたのだろうか?会話の様子からみても、とっても仲がよさそうなご家族だった。

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あと1週間遅ければだいぶ散り始めていただろうか。

いくつかつぼみは見えるものの、ほぼ満開な。

 

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ついつい上ばかりを見てしまいがちだが、足元にも綺麗な花たちが咲いている。

 

水仙も綺麗に咲いている。

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これは何という花だろう。

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これとかかな??

garden-vision.net


ま、結局桜を撮ってしまうんですけどね。

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去年は初めてのコロナもあり、桜をわざわざ撮りに行くなんてできなかった。

ということはなんだかんだ桜を撮るのは2年ぶりということか。

 

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まさにこの記事ぶりなのだ。

blue-rock53.hatenablog.com

 

恐ろしいほどの時が経つスピード。私もついに社会人3年目だ。

ウソだろ…?もうずっと「1年目なんで・・・」「2年目なんで・・・」という枕詞を使っておきたいのだが笑

 

ま、そうそう甘えてもいられないか。

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来年の桜を見る頃には、何の憂いも無く見れる様になっているだろうか。

 

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その頃にはマスクを外すのが逆に違和感になっていそうだ。 

 

 

もう一カ所くらい桜スポットに行きたいけど、果たして桜はもつかな。

 

 

では、本日はここまで。