コロナの流行前にグーグルマップを眺めていると
やたらにハッキリとした前方後円墳を見つけた。
群馬に来てからというものやたらに古墳をみる。
数だけでなく、大きさもある。一体なぜなのだろうとずっと疑問だったが、ここに行けば少しは分かるだろうか。
グーグルマップで見つけた気になるところに向かうグーグルマップ探索シリーズの第8弾は、保渡田古墳群(かみつけの里博物館)へいってきた。
※県内の移動となり、マスクの着用等感染対策を実施しております。また、土日を避けております。
精巧な模型で1500年前が蘇るかみつけの里博物館
保渡田(ほどた)古墳群と隣接したかみつけの里博物館はここにある。
5世紀後半の古墳時代、榛名山の南麓には複数の大型前方後円墳が短期間に造られており、有力な豪族が拠点を構えていたと考えられているようだ。
付近では、三ツ寺遺跡という古墳時代の豪族の館(最大級)も発掘されており、上毛野盟主的な豪族が住んでいたと想定されている。
かみつけの里博物館では、古墳周辺の古墳時代の歴史を紹介する博物館だ。
おなじみの埴輪たちや
これが最も驚いた金メッキをした銅板でつくられた靴。
この靴は底にもガラス玉が埋め込まれているらしく、履けない装飾用の靴と考えられているようだ。
古墳時代の金属を使用したものといえば、刀剣や銅鏡というイメージが強いが、靴というのは初めて見た気がする。盗掘にあったら真っ先に持っていかれそうだし、あまり残されていないのだろうか…。
さて、こちらは冒頭の写真の八幡塚古墳建造現場。
時代を超越したヘリからのアングルとなっております。
地表に降り立ち古墳を見つめる。
今となっても何にもないこの土地にこんな巨大建造物が現れたら、それは権力者の力にひれ伏すこと間違いなしだろう。
ここは資材置き場か?それとも現場の皆さんが寝泊まりする場だろうか。
ダムの建設現場の泊まり込み用のプレハブ的な。
おら~!働け~!今月まだ140時間しか働いてないぞ~!
現代では労基署もビックリな条件となっていそう。
そして、これが三ツ寺の豪族館を復元したもの。
古墳時代の豪族の館としては、国内で最初に発見され最大級といわれている。
なんだか鎌倉時代前後の武士の館と言われても遜色ないレベルで立派・・・。
そんなこんなでこじんまりとした博物館を堪能した後は、さっそく外の古墳へ。
当時の姿に復元された八幡塚古墳とあるがままの姿の二子山古墳
最初に当時の姿に完全に復元された八幡塚古墳へ。
おおおお!古墳や!
このように復元された古墳は初めて目にするため、かなり興奮する。
こういう時に大事なのは、お濠をきちんと確認すること。
跡形もない城跡でも古墳でも、濠の跡というのは案外残っているもので、お手軽に歴史のロマンに浸ることが出来るポイントだ。
あゝ、お濠に寝たい。
ここは、一番外の外周濠。
途中の外濠。いい角度や!
そして最後の内濠。
しかし、デカい!
この埴輪たちも発掘調査によって判明した数や配置を極力再現したとのこと。
ぐははは!これが王の眺め!死んでるけど。
山々も美しい…なるほど、ここに墓をつくって眠りたくなるはずだ。
ちなみに、インディジョーンズに憧れたあなたなら感涙必至の石棺とご対面も果たせる。
明治期に盗掘にあっていたようだが…。
続いて、かなりありのままの二子山古墳へ。
この一見するとただの盛り土の小山にしか見えないが、実は1500年近く前にこの地を治めた権力者が眠るというこの見た目とロマンのギャップ。
それが古墳を見に行くと興奮する理由だ。
そして濠!
ん?何だか農作業の跡が…
2重の濠を越えると、ついに頂上へのぼる階段にたどり着く。
王の眺めパート2。
ここ群馬にこれだけ大きな前方後円墳が築造されているのは、ヤマト王権が蝦夷に近い「前線」として重要視していたのではという説があるようだ。
三ツ寺遺跡の王が早くから渡来人の技術を多く導入していること等から、ヤマト王権に近い存在であったこと等が推察されている。
ところが、榛名山の噴火によってここ周辺での統治は途絶えてしまう。
その後は、拠点を他に移したか、ヤマト王権後の中央政権に貴族として活躍したなどの説がある。
しかし、榛名山の噴火による火山灰によって数々の遺跡が残されたこともまた事実で、痕跡の少ない古墳時代を知る手掛かりとしてかなり重要な場所となった。
あれ…?想像していたよりも濃厚だ。
気になったアナタは、きっと興奮できる場所に間違いない。
県外移動も解禁された際には、ぜひ訪れてみては?
では、本日はここまで。