本日は大平山の続きを。
大平山は円仁によって開かれたことは前回書いた通り。
昔は神仏ともにごちゃ混ぜになっていたため、太平山神社以外にも様々な寺院や御堂ががあった。
今回はそれらを巡った記録だ。
神仏分離令が生んだ独特な形状の連祥院六角堂
さて、まずは「六角堂」の文字に惹かれてここへやってきた。
六角堂は太平山神社の麓にある。
ちなみに、駐車場はここを使わせていただいた。台数も多くとめやすい。
あじさい坂の名前がつく通り、すぐ近くにあじさいが咲くあじさい坂がある。
この辺りではあじさいの名所で有名なのだろうか。
あじさいを見にひっきりなしに人がやってくる。
さて、そのあじさい坂の途中に六角堂が現れる。
おお、本当に「六角堂」だ。六角堂は正式には連祥院という寺院で、元々は大平山の山頂にご本尊の虚空蔵菩薩を安置していた。
しかし、明治の神仏分離令と廃仏毀釈の動きに合わせて、仮の本堂を太平山とは別の場所につくり移動させたりと紆余曲折を経て現在の地にたどり着いた。
最終的には、明治三十八年に有志の方々によって現在の本堂が建てられた。その際に京都の六角堂を模して建てられ、現在の独特の形になったようだ。
京都の六角堂の方は行北側ことがないが、写真で見る限りかなり似ている。
某夢の国ならばこれだけシルエットが酷似している場合一発アウトだと思うが、仏教の世界ではセーフなのだろうか。
3代将軍家光 側室お楽の方手植えの枝垂桜が美しい太山寺
六角堂を後にして少し北側に歩いて太山寺へ。
駐車場もお寺のすぐ向かいにある。
立ち寄る予定はなかったのだが、この山門の美しさが目に留まって寄ることにした。
この緑とフォルムのバランスがとても美しい。
本堂も白壁と木を基調として美しい。引くと折りたたまれていく戸は珍しいように思う。
本堂の前には枝垂桜が鎮座している。
いたるところに支えがされていてかなりの樹齢を思わせる。それもそのはずでなんと樹齢360年。
しかも徳川3代将軍家光の側室・お楽の方がここで病気静養をしていた際、4代将軍となる家綱の武運長久を願って手植えしたものらしい。
戦国時代の戦火で焼失した太山寺の再興を果たしたのが、お楽の方だったことも関係しているのだろう。
何故にお楽の方が太山寺の再興をしようと思ったのかも気になる所だが、はっきりとした答えは分からなかった。
お楽の方は元々太平山に近い大平の出身(農民の娘)ということで、故郷の寺をいつか再興したいという思いがあったのかもしれない。
そんなことを呟きながらどこに向かっているかというと、本堂から石段を登った先にある観音堂。
途中もあじさいが綺麗に咲いている。
あじさいだけでなく、苔も綺麗なのだ。
ついつい苔を撮って狙った質感が出ていることを確認できるとニンマリしてしまう。
さて、ついに観音堂へ到着。
円仁が太平山を開山した当時に、太平山の御神木で刻まれた千手観世音菩薩が安置されているとのこと。
深い緑に囲まれた空間に朱色の建物がとても映える。
千手観世音菩薩は県の指定重要文化財で、年2回の御開帳があるようだ。
ということで太平山を大満喫した訳だが、1日お参りを楽しめる最高の場所だった。
栃木というと日光辺りが観光のメインだと思うが、宇都宮餃子を楽しみにいったついで等にぜひ訪れてみてはいかがだろうか。
テキトーな締め方となってしまうのはいつものご愛嬌ということで。
では、本日はここまで。