ごみと青い岩

2000年の歴史が詰まった古墳群 さきたま古墳群へ

久しぶりに歴史ネタとなる今回。

今回は大好きな古墳がボコボコある埼玉県は行田市の「さきたま古墳群」へ向かった。

 

 

 

国指定記念物の関東屈指の古墳群

行田市ってどこ?となるかもしれないが、暑い街熊谷のお隣である。

www.city.gyoda.lg.jp

 

なぜその場所で「埼玉古墳群」という大それた名前なのか。

よく見てみると「さいたま」ではなく「さきたま」なのだ。

実は、埼玉(さきたま)は行田市に存在する地名なのだ。

つまり、単純にさきたまという場所にあるから「さきたま古墳群」と言うこと。

 

ちなみに、行田市は「埼玉」県名発祥の地というアピールもしていたりする。

 

ということで駐車場へ到着。台数はかなり余裕がある。

まずは一番行きたかった丸墓山古墳へ。早速こんもりとした素晴らしい円墳が見える。

公園内はもちろん犬もOK。ということでヴェルナー氏にも歴史のロマンを感じてもらおう。

というのも、私が一番行きたい丸墓山古墳は、

 

石田三成が見た景色を求めて

ここさきたま古墳群に来たのは、戦国時代の名残を確かめに来るためでもあった。

時は天正18年(1509年)。行田市の中心部に位置する忍城を巡り、城主の成田氏と豊臣勢が激突する忍城の戦いが発生。

 

ja.wikipedia.org

 

関東が欲しい秀吉は、当時関東を治めていた後北条氏を攻め落とそうと小田原征伐を行う。豊臣軍は石田三成を大将とし、他の後北条氏支城にも侵攻したのだった。

 

忍城は、周囲を川や沼地に囲まれ難攻不落という評判高い名城だった。

実際、石田三成はこの忍城攻めに大苦戦。そこで「地形的にワンチャン秀吉さんが備中高松城攻めの時にやった水攻めイケるんじゃね?」と閃いた三成は、城を囲む堤を突貫工事で完成させる。後にこの堤は「石田堤」と呼ばれ、今に残る。

 

堤で囲った中に利根川の水を一気に流し込み、忍城の周辺を沈めてしまったのだった。

しかし、忍城はそれでも沈まず、「浮城」の名を後世にも伝えるまでとなった。

 

この戦いを描いたのぼうの城はとても良い映画だったため、ぜひ観ていただくとより忍城の戦いがイメージしやすいと思う。

www.tbs.co.jp

 

さて前置きが長くなったが、最初に向かう丸墓山古墳は、忍城攻めの際に石田三成が陣を張った場所なのだ。

しかも、今となっては現存も珍しくなってしまった「石田堤」が残っているのだ!

 

そして、丸墓山古墳に到着すると早速気になる「こんもり」とした道を確認。

「これは・・・」と胸が高まる。

 

やはり期待通り↓が石田堤だった。軽く500年以上前につくられた場所に立っていると思うと非常に感慨深い。

では、丸墓山古墳を登って三成と同じ景色を見に行こう。

結構な急登だな・・・ヴェルナーと駆け上がる。

いよいよ到着。これが三成の見た景色か・・・。

これは忍城とは反対の景色なのだが、興奮し過ぎて5軸の手ぶれ補正を超越する手ブレを起こしてしまい没に。

ていうかあの古墳・・・絵に描いたような前方後円墳過ぎて美しい。

その稲荷山古墳へ行こう。

 

ヤマト王権の影響力を感じられる前方後円墳

この稲荷山古墳は、大阪の大仙古墳(今は仁徳天皇陵と呼ぶべき?)と形状がほぼ一致しているらしい。もちろんサイズは4分の1程のようだ。

この形状の一致性からヤマト王権との関係が強い人物が埋葬されていたと考えられているとのこと。

加えて出土した鉄剣は、国内でも珍しく刀剣表面に彫られた銘文が欠けることなく残っていた。これにより、明確にヤマト王権との繋がりが判明しているとのこと。

 

そのお隣の将軍山古墳は、展示室もあったのだがヴェルナー同伴では入れず・・・。

次回はメインの博物館もセットでリベンジしよう。

近寄れないが非常に美しい二子山古墳。

これだけ大きく美しい古墳たちを見て回れる場所も貴重だろう。
特に関東では珍しい。

 

さらに、戦国時代にも思いを馳せることができる素晴らしい場所だ。

ぜひ歴史ロマンに魅せられている皆様、さきたま古墳群へぜひどうぞ。

 

では、本日はここまで。