
唯一無二の存在感と荘厳さ

この独特な存在感。本当に日本の仏教寺院なのか疑いたくなる佇まい。
築地の場外市場目当てでやってくる外国人観光客もどんどん吸い込まれる。

奥に見えるまるでバロック建築のような柱と、手前の手水舎とのギャップが不思議な光景。

インドだけではなく、イスラム建築も感じるようなデザイン。

しかし、以前は木造の寺院の姿をしていたという。↓のリンクに当時の姿が写っている。
じゃあ何でこんな異色な雰囲気になったのよ。この辺りを考えてみよう。
なぜこの独特の造りになったのか妄想する
契機となったのは、関東大震災だった。火災により本堂が焼失。復旧事業の一環として、旧東京帝大の名誉教授である伊東忠太を中心に設計されていくこととなったという。

現代でも独特な雰囲気を持つお寺だが、当時であれば誰もが驚いたであろう姿。なぜにこれほどまでにインドの雰囲気を持つ建物にしたのか非常に気になる。

あまり情報は出てこなかったが、設計の中心にいた伊東忠太の考え方や持論が非常に強く影響しているように思う。彼は、日本建築史という学問を体系化させた人物ともされている。

日本建築の歴史的な流れを整理するのはもちろん、建築に影響を与えた要素を考察したのだ。だからこそ伊東氏は、近代の建築に行き着くまでの歴史を反映した新しい仏教寺院を建てようと思案した結果、仏教の源流を辿ると辿り着くインドや、シルクロードを通じて繋がるイスラム、西洋世界等の要素を取り入れたのではなかろうか。

という妄想をしてみたのだが真相は果たして・・・。
しかし、インドのみならず、アジアやイスラム、ヨーロッパ(キリスト教)の世界観が混在していて、眺めていて本当に飽きがこない。宗教や歴史的なつながりで言えば、仏教・イスラム・キリストは相互に影響し合いながら、現在の形に落ち着いている。

だから、時代によって少しづつお互いの要素が建築物に反映されていることが多い。それを体現しているかのような建物。伊東忠太が表現したかったことってそういうことなのだろうか。
部分部分で切り取ると、雰囲気が変わりとても楽しい。ここがお寺に見えるかい?

しかし、見上げると急にお寺っぽい。


反対側にもストゥーパ的な構造体。

現地に来るまで、失礼ながらハリボテっぽい本堂だななどと思っていたが、本当に失礼な話であった。

世界の宗教建築の歴史を仏教を軸に集約したような素晴らしい本堂だった。
部分部分で雰囲気が異なるため、写真を撮る上でも非常に楽しかった。雨の日や雪の日にモノクロでまた撮りに来たい。
では、本日はここまで。