前回記事の村積神社創建に関わった物部真福(まさち)。
その真福が建てた(実際には聖徳太子とも)といわれる真福寺へも行ってきた。
ちなみに、寺の方は「しんぷく」と読む。
この日は年末という事ですっかり初詣の準備が整えられており、元旦を目前に控えた真福寺の様子をお届けしたい。
厳格な山寺の雰囲気を醸す仁王門付近
場所はこの辺り。
この日は食べていないが、竹善料理が有名らしい。
子供の頃は祖父と夜な夜なタケノコ狩りに行ったほどのタケノコ好きとしては気になる所だ。
さてさて、真福寺の仁王門前にやってきたところからスタート。
ちょうど私がついた時には、この紫の幕をお寺のご一家(だろうか?)が張っているところだった。
きっと正月にはこの幕を張っているのだろう。ああもう年末だなあと私が最も好きな時季であることをしみじみ噛みしめる。
ちなみに、真福寺は594年に創建されたとされ、1151年、1410年と2度の火事に見舞われているようだ。この仁王門は、1494年に再建されたものだという。
世は戦国時代だったわけで、かれこれ500年以上の年月が経っている。
さらっと書いたが、594年の創建ってすごいよね。
大化の改新よりも50年前、飛鳥時代だ。それもそのはずで、現存する寺院としては三河最古ともいわれているようだ。
そして、仁王門をくぐるとこの階段である。
おやおや、これは良い雰囲気ではないか!?当たりの雰囲気ではないか!?とテンションが上がる。
辛い階段がある神社・寺院は基本的に外れがない気がしている。(当社比)
この階段脇に並んでいるお地蔵様すべてに、暖かそうな編み物が供えられていた。
最近コペンでオープンにしているときは同じ格好をしているな…。
物部真福と聖徳太子
いよいよ本堂に向かう途中、こんな空中回廊が出現。珍しいつくりだが、これで山と山の間をすっと移動できる。
さて、真福寺のルーツに話を戻そう。
物部真福が、父 物部守屋のために建てることを聖徳太子に願い出たことがきっかけで594年に創建されたといわれている。
このエピソード、調べるほどに納得がいかない…と思っている。
村積神社の記事でも述べた通り、物部守屋は仏教を広めることについて反対しており、聖徳太子はもちろん、蘇我馬子と対立していた。
大阪にある四天王寺は、聖徳太子が「物部守屋潰したら建てるぞ…!」と宣言したのちに建てられた寺である。
もちろん、物部氏はこの争いに敗れ都を追われる。
四天王寺の創建は593年。
そのわずか1年後に守屋の息子から親父のために寺を建てたいなんぞ言ってこようものなら、「立場分かってんの?」と詰められるだろうし命の保証もないだろう…。
実は聖徳太子や蘇我氏側と繋がっていたのだろうか…そもそも神社や寺を建てるほどであるから真福は父親と違って崇仏派(仏教賛成派)だったのかもしれない。
しかし、なかなか物部真福の情報は少なくはっきりとはしない。
(でっかい門松!)
まあ、古代の歴史ってどこまでが事実かがなかなか分からないところにロマンがあるよね。
実は聖徳太子は無関係に自力で建てたかもしれないし。
そんなわけはないか?
1400年以上も前、一体どんな思いで真福はこの真福寺を建てたのだろうか?
というか真福!あなたがそもそもどんな人なんだよ!と気になって仕方がない。
しかし、こんなにものどかでひっそりとしたお寺に、日本史の中でも大きな宗教戦争であり権力争いの背景があったとはとても思えない。
そして、もう少し古代の歴史に触れてみたいなと久しぶりに思う。
案外身近な所にこうした古代の歴史に結び付く場所があると思うと、やっぱり歴史は面白い。
と、久しぶりに歴史熱を温めてくれた真福寺を後にするのであった。
あっさりと懐かしい味噌ラーメン 次男坊
さて、せっかく名古屋圏にいるので味噌ラーメンでも食べるかとこちらへ。
味噌ラーメン!いや~これが旨い!!!
最近の味噌ラーメンはこってり系も多いが、これは赤味噌ベースでとてもあっさり仕上げられている。赤味噌の味噌汁をラーメン風に仕上げているような。
でも、それでいて物足りなさはないというバランス。
しかも、スープがあっさりだから分厚いチャーシューがまあ合うんだなぁこれが!!!
ちなみに、平日ランチはご飯無料でつきます。
ということで岡崎周辺巡りはひとまず終わり。
では、本日はここまで。