愛知県という場所は、私にとっては全く馴染みのない土地。
ところがどっこい、結婚した都合もあって年末は愛知に行っていた。
合間を見つけて愛知の神社・寺巡りをしてきたのでご紹介。
凄まじい急登を越えて
三河富士とも呼ばれる村積山。その頂上にあるという村積神社。
山の頂上にある神社ってそそられる。そそられない?
しばらくはこんな車道を歩いていく。
釣り堀池だって。そんな池があるんだなあ。
キャッチアンドリリース必須との看板もあった。
弱い光にうっすらと照らされるシダ植物、いい感じだ。
根っこもいい形。
こういうのを見ると坂を上がる元気も湧いてくる。
好きなんだなあこういう陰影の出方。
写真からは分からないが、結構な斜度がついている。
マイケル・ジャクソンの斜めのやつが余裕でできる。
おや常緑樹さん、ご声援ありがとうございます。
深緑の中頂上に鎮座する姿に見とれる
んんん???これは…彫られている…のか?
この謎の彫刻が見えると、ついに神社の登りへの入り口。
あれ!これ岩じゃなくて土だ。ぽろぽろと削れてしまう。
よくあの彫刻は残っていたな。
さすがに息が切れる登山道という感じで、ふうふうとしっかり息を吐く。
昔、実家の近所の山道具屋さんに、山もクライミングもしっかり息を吐き切るのが大事だぞと教わったのをこういう時に思い出す。
そうなんだよね。息を吐き切れば勝手に吸うから。
そんな昔話を思い出しながら歩いていると、ついに鳥居が見えた!
かっこいい登場の仕方じゃないですか!
ここ村積神社が創建されたのは、推古天皇の時代と言われている。
創建に関わったのは、大和朝廷の有力者だった物部守屋の次男 真福(まさち)といわれている。
大陸から仏教が伝来した際、がんがん導入してこうぜ派の聖徳太子・蘇我馬子に対し反対し、対立したのが物部守屋だといわれている。
物部氏はこの対立で都を追われ、物部守屋の次男 真福は三河にたどり着いた。
そこで、真福寺とここ村積神社を創建したと言われている。
なぜ真福はここ村積山を選んだのだろう。
三河富士と呼ばれるくらいだから、形も綺麗だってことで信仰の対象になっていたのだろうか。
ちなみに、真福って絶対「まさち」って読めないよね。
こんなに打っておきながら、毎回「しんぷく」って読んでる。
あれ、本堂の奥に行ける場所がある。
わお展望台だ。岡崎の街が一望できる。
ここを目当てに登ってくる家族連れもいたので、地元ではそれなりに有名なのだろうか。
ということで、次回は真福が建てた真福寺に向かう。
本日はここまで。