リンクを貼らずともご存知の方がほとんどかと思われる、日本最悪、単独機としては世界でも最悪の航空機事故といわれる日本航空123便事故。
この事故を語る場としては、墜落場所である御巣鷹山が有名だ。しかし、実際の機体の一部を目にすることができる場所が東京にある。
それが、日本航空(以下JAL)の羽田メンテナンスセンター内にある安全啓発センターだ。
なかなか平日でないと予約も取れなかったため、念願の見学となった。
改めてこの事故の悲惨さと、メーカーと運航会社の関係、日本の航空事故調査の在り方を考えさせられる一日となった。
センター内は撮影禁止のため、あくまで感想となるがご容赦頂きたい。
念願のJAL安全啓発センター見学
羽田空港に来るのは5年ぶりくらいだろうか。
空港はあまり使わないから来るだけでワクワクしてしまう。
ひとまずターミナル内の散策は後にして、ゆりかもめで新整備場駅に向かう。
第三ターミナルからだと一駅のため、すぐについてしまう。
安全啓発センターの見学は本当に念願で、ゆりかもめを待つ間も落ち着かない。
初めてYouTubeで事故機のフライトレコーダー音声を聴いた時、あまりに過酷な状況に絶句したのと共に、絶望的な状況の中で諦めないパイロットたちを心底尊敬した。
しかし、最近も遺族からのボイスレコーダー等の記録開示は認められないとして、東京高裁の判決が出たばかり。
そう、YouTube等で視聴できる音声は流出したものなのだ。
行政への情報開示請求のように請求権が明確になっていないものでもあろうから、素人はあまり判決に対して口出しできないなとも思う。だが、少しやるせない気持ちにもなる。
そのような中で事故の悲惨さを今に伝える施設がある。事故を起こしてしまった当事者であるJALが設置している安全啓発センターだ。
事故機の一部や、遺留物等が展示されている。本来は、JALグループの研修施設としてつくられたが、現在では他企業向けの研修や予約さえすれば一般人も見学可能だ。
開示されている情報が限られている中、一般人も事故について深く知ることができる貴重な場所だ。
様々な観点から省みる悲劇
新整備場駅で電車を降りて地上に出ると、すぐにJALの建物が見える。ここがメンテナンスセンターと呼ばれる場で、大人気の整備工場見学等もここで行われる。
そんな華やかな舞台の裏側で安全啓発センターは粛々と悲劇を伝えている。
123便墜落の原因は、機体後部の圧力隔壁という部分の修理が不完全だったことだった。圧力隔壁が破損したことで垂直尾翼が吹き飛び、油圧を失ったことで操縦不能になってしまったのだ。
センター内には、その吹き飛んだ垂直尾翼と、事故原因となった圧力隔壁が展示されていた。その説得力は凄まじい。
123便には、自衛隊機と接触した等様々な陰謀論が存在する。しかし、吹き飛んだ垂直尾翼には内側から外方向へ力が加わった破損部分が見え、やはり「諸説」は陰謀論に過ぎないのではと思う。
加えて直接的な原因となった圧力隔壁の修理ミス。
このサイトが詳細を書いているが、文章だと分かりにくいかも...。
動画だとこちらが事故調査報告書に沿った丁寧な解説で分かりやすい。
いずれにしても、圧力隔壁のつなぎ目を一枚の補強板でつなぐべきところ、何故か2枚に分割して修理してしまった。それにより金属疲労を起こして破損してしまった。その圧力隔壁や、修理跡を目の前で見ることができる。
この圧力隔壁の修理はメーカーであるボーイング社が請け負った。
しかし、何故かボーイング本社の指示とは違う修理方法で修理がされてしまった。
修理後の整備や運航責任はJALにあるといえど、やはりメーカーの責任は非常に大きい。クルマ業界のメーカーという立場にいる身としては、やはりどこか他人事には思えない。
メーカーの出す不具合で安全上の問題が起きたとしても、実際の現場ではまず販売店が矢面に立つことがほとんどだ。
お客様だけでなく、そういった人々にも様々なものを背負わせてしまう立場にある。
改めてそれを自覚する必要があることを痛感した。
また、事故調査ではボーイングの作業チームが何故本来の指示とは違う方法で修理を行ったのかという理由は明らかになっていない。詳細は不明だが、解説員の方曰く当事者の作業者たちが起訴されることを恐れ事情聴取ができなかったとのこと。
当時はアメリカと違って日本では司法取引も無いし、理由を話したならば即座に起訴・有罪となってしまうかもしれないから、当たり前と言えば当たり前なのだろう。
しかし、この修理ミスの直接的原因が分かっていればより効果的な対策が世界的に取られていたかもしれない。
いまよりもさらに一歩、安全に近づいていたかもしれない。
そう考えると、こういった運輸事故に対しての調査や司法の在り方というのも考えさせられる。
そして、一番深く考えさせられたのは、亡くなられた方々が激しい揺れの中で書き残した遺書。どれも後悔と無念さと、残す家族へのメッセージが書き殴られていた。
同じ境遇に居合わせてしまったら、きっと同じ行動を取ってしまうのだろう。
そう思うだけで胸が締め付けられる。
事故調査や司法の在り方等の小難しいことは、素人の私が何かを変えたりすることはできないだろう。しかし、せめてこの事故のことを記憶し続けるということはできると思う。
胸が締め付けられるこの辛い思い出と共に、自身の仕事の中でも世の中の「安全」に少しでも貢献できるよう努める。それが、この事故から得られる私自身なりの教訓と思いたい。
浅はかとは思えど、そう決意せざるを得ない説得力がここにはあった。
ぜひ一度ご見学ください。
では、本日はここまで。