さて、前回は坑道の跡を見学した足尾銅山。
いよいよ本丸の廃墟巡りだ。
写真のデータを見返すと記憶以上に写真を撮っていた…。
ということで足尾銅山は3回に分けてお送りする。
何だか海外ドラマみたいになってきたな…。いつのまにかシーズン3まで決まっているなんて。
小滝小学校・第三中学校跡
いきなり今回の目玉からいくぞ。
学校”跡”という響き。う~んなんともロマン溢れる。
さてさてやってきた。きちんと公式の看板が立っている。
ここを上がっていく…のか?階段の面影がうっすら残っている。
なかなか当時の写真が無かったが、足尾中学校の公式HPに写真があった。
今度はきちんとした階段に到着。写真下側から伸びる坂道が右斜め上に向かって折り曲がっている階段がここだろう。
階段を登った所には、校門の残骸らしきものが残る。
写真でも校門のようなものがうっすらと確認できる。
再び当時の姿を振り返る。
ここが階段を登り切った広場にあたる所と思われる。
奥には左側校舎の石垣跡が見える。
思っていたよりも全然面影があるじゃないかっ!
いや~興奮が抑えきれない。
かつてはここにも多くの子どもたちが学び笑いあっていたはずだ。
今となっては基礎からしか想像ができないが、当時通っていた人が見ればすぐに思い出せるのだろうか。
第三中学校は昭和28年(1953年)に閉じられたようなので、まだ当時通っていた方も生きていらっしゃるはずだ。
ここは恐らく右手前から奥に伸びる校舎の基礎だろう。
この石垣は左側の校舎付近にある石垣だろう。
ここは階段もしっかりと残っていた。
当時の写真を見てからでないと想像がしにくいと思うので、実際に行かれる際には上の当時の写真を見てから行くと良いだろう。
旧鉱盛橋跡と坑夫浴場跡
続いてもう少し北上する。
地図でピンを打った所には旧小滝支局木橋の案内板があるが、痕跡を確認できるのは旧鉱盛橋の跡だ。こちらが現在の鉱盛橋。
道端の古い道標には「くわうせいばし(こうせいばし)」と読める。
橋があったのならば、と橋脚跡を探してみた。
恐らくこれだろうか?
もう少し歩くと、坑夫浴場跡がある。
仕事帰りにここで身体の汚れや汗を洗い流したのだろう。
もっと銭湯くらいあるのを想像していたが、これでは4人くらいしか湯船につかれなくないか?
どうやら外堀のような部分で身体をいったん流し、その後に内側の湯船につかるという仕組みだったようだ。
銀山平社宅跡
最後はこちら。
ここ銀山平には、↓のように数多くの長屋形式の社宅が建っていたようだ。
今となっては石垣くらいしか残っていない。
ちょっと残念ではあるが、下調べをしておかないと意外と何気なく通り過ぎてしまいそうだ。
少なくとも社宅の跡だとは想像しないだろう。
過去の写真からは一帯が完全な街を形成している様子が分かるが、今はもう山の一部に帰りつつある。
石垣の上にも、基礎等の遺構もほとんど存在しない。
もはや、ここで生活していた人々の痕跡は皆無に等しい。
過去の記録や写真が無ければ、あっという間に忘れ去られてしまう。
これがもし自分の故郷だったら、ここで幼少期を過ごしていたら、この景色を見てどう感じるのだろう。
「歴史の流れだから」と素直に受け入れられるのだろうか…。
子ども時代の遊び場が宅地開発で見る影も無くなっただけでも、私は一抹の寂しさを感じてしまう人間だ。
とても容易には語れまい。
次回でひとまず足尾の町巡りは最後となる。
では、本日はここまで。