さて、"鉱都"足尾の往時の姿を廃墟から妄想した前回。
今回で足尾巡りも終わりだ。
気合入れていくぞ。
小滝坑跡と旧小滝橋
江戸時代のに掘られた旧坑だった小滝坑。
明治になり足尾銅山を買い取った古川市兵衛は、ここを再度掘り進めることにした。
そのおかげで小滝地区は一時1万人以上の人口を誇る集落にもなったという。
その小滝坑から鉱石を運搬する機関車用の橋が、旧小滝橋だ。
大正15年に架けられたという旧小滝橋。
橋の奥には小滝坑が見える。
このたくさんのトラス。堪らんですな。
シンプルでモダンな橋も良いけど。
あちら側には道路を歩いていけば近くまで行けそうだ。
ということでこちらが小滝坑。1954年に閉じられて以降、小滝地区も消え去っていってしまったようだ。
ここには橋の上にはもう無かった軌道も残っているぞ。
しかし、この辺りだけで1万人も人口がいたとは想像ができない。
それだけ大正頃までの銅山採掘には人手が必要だったという事だろうか。
小滝火薬庫跡
小滝坑のすぐ近くにもう一つ行きたい場所が。
ここ。小滝火薬庫跡。
採掘用の火薬を明治頃に保管していた場所らしい。
しかし、入り口が分からない。
はてさてどうしたものか。どこから行くことができるのやら…とカメラを片手にふらふら。
すると、小滝橋の脇に細い道を発見。 道…?だよな…?
あったー!
いやいや案内板よ、もっと前へ。
こんな場所に火薬を置いていたのか。結構ガバガバだな…警備員とかいたのだろうか。
そして、このオーバーハングした岩を見てふと思う。
これ、なんか登れるルートがありそうだな…とついクライマーの発作が。
下からじっくり岩を見上げ、「この辺からスタートして… あそこ持って…あれ?これやっぱ登れそうじゃね?」と独りつぶやく。
そんなことをしながら自分なりにルートを想像しながら、目線を上にやっていくと…。
あ。やっぱりあった。
これはクライミングの際にロープを掛ける支点だ。やっぱり登る人いるんだなあ。
さて、銅山関係に戻る。火薬庫跡のすぐ近くには、削岩機のトライ跡が。
集合体恐怖症の方々すみません。
前々回に紹介した↓これだ。たぶん。
3回も体験しておいて良かった。この穴を見てすぐにピンときたもの。
良い子のみんなも、足尾銅山の削岩機体験コーナーはやれるだけやろう。
小滝選鉱所・製錬所近くの社宅跡
小滝坑の方から下ってきて、小滝を見に行くつもりだった。
上から降りてきて目についたこの階段跡。きっと選鉱所・製錬所跡の一部だろうと思っていた。
「何だか思っていたよりも基礎やら色々小規模だなあ」なんて思いながら写真を撮っていた。
気になって帰ってから色々調べていたのだが、ここは青葉寮という社宅の跡だったようだ。
とりあえず、登れる階段があれば全部登り、行けそうなところは全部行く。
それが今日の相棒PENTAX K-3との合言葉。
最初の階段を登り終えると少し開けた場所に出る。
う~ん…わずかにコンクリートの基礎が残るのみ。
少し歩くとさらに上に行ける階段を見つけた。
冒険心を思いっきりくすぐられながら、倒木をくぐる。
むむむ。まだあるぞ!登れぃ!
ここはだいぶ基礎が残っている。
2回ほど階段を登ったが、どの場所も山にへばりつくように建物があったようだ。
あまり広さも高さも無い長屋ベースな社宅だったのだろうか。
おおお!何だか釜戸らしいものがあるぞ。
青葉寮の共同釜戸だろうか?さすがに製錬関係の設備にしては小さいだろうし。
釜戸付近に落ちていた欠けたレンガ。
「MINOYO...」と読める。レンガのメーカー名?ネットでは検索にヒットしなかった。
レンガオタクの方、情報お待ちしています。
こんな感じで山を歩きながら写真を撮った1日であった。
さすがにお腹がペコペコ。よく歩いた一日だった。
シンプルな旨さ ないとう食堂
ということで、足尾の町から離れて少し北上。ないとう食堂へ。
タンメンとソースカツ丼が有名なのかな。これを頼んでいる人が多かった。
しかし!私は野菜炒め定食。厨房から聞こえてくる炒め物の音にやたらにそそられてしまいチョイス。
これが大正解。なにこれ。なんでこんな旨いんですか?
少しニンニクも効いているのか、どうにも箸が止まらない。シンプルなんだけど家ではなかなか再現できない旨さ…。
連れはソースカツ丼をチョイス。これまた旨い。
ソースカツ丼というよりも煮カツとソースカツの間みたいな。肉汁とダシとソースがじゅわっと染み出してくる。
足尾や日光方面に行く際はぜひお立ち寄りを。
3回も足尾だけで書いてしまった訳だが、まだまだ見たい所はたくさんあった。
これら以外にも、鉱都として栄えた跡は散らばっている。
これからも少しづつ、足尾の往時の足跡を辿っていきたい。
では、本日はここまで。