ごみと青い岩

足尾銅山 栄華の足跡を辿る~銅山跡編~

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2年越しの計画 足尾歴史巡り

2年前からずーっと行きたくて仕方がなかった足尾銅山

 

しぽしぽとグーグルマップで行きたい所にピンを立て続けてきた。

銅山跡の坑道観光はもちろん楽しみなのだが、やっぱり 鉱山の町の痕跡を辿ることが何よりの楽しみだ。

 

今回と次回の2回に分けて、「日本一の鉱都」と呼ばれた足尾の銅山と町の往時の栄華の足跡を辿りたいと思う。

 

1日で回れたのは行きたかったスポットの約半分。。。

青のピンがそのスポットだが、左半分しか行けなかった。リベンジ確定ですはい。

 

そんな中でも今回は、足尾銅山の坑内に入れる場所をメインに書いていきたいと思う。

 

いざ入坑!リアルな人形たちと共に足尾銅山の歴史を辿る

 

日光市のもの以外HPが見当たらないが、一応貼っておこう。

www.city.nikko.lg.jp

 

1610年、江戸幕府の直轄支配下に置かれ本格的な採掘が始まった足尾銅山

1973年に閉山するまで約360年もの歴史をもつ。

 

中でも、最盛期を誇ったのは明治後半~昭和初期で、国内の銅産出量の4割を占めていた。それに伴い、大正5年には足尾町だけで約3万8千人の人口を誇ったという。(合併し今は日光市の一部だが、その日光市も人口は約8万人だ)

 

そんな足尾銅山には、3つの坑口が存在していたが、この観光施設では「通洞坑」からトロッコに乗って入ることができる。

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こんなトロッコに乗る訳で、気分はインディ・ジョーンズそのもの。

後ろから「ジュニア!」というインディ・パパの声が聞こえてきそう。

(すみません。最後の聖戦が好きな人です。)

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来たー!!!想像以上にそのままではないか。

いざ入坑!

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うひゃ~暗い。X100Fの高感度耐性に思いっきり頼るぞ。

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さきほどの入り口が遠くに見える。

ここから先は歩いて坑内を巡る。

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ぐぬぬ。行ってはならぬと書かれていると行きたくなr…んんん!?

1200キロ!?多分枝分かれした坑道の総距離なのだろうけど、群馬ー大阪間の2倍以上だぞおい…。

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まあ400年も掘り続けたらそうなるか。

 

人形労働者と共に採掘の歴史を知る

中にはかなりリアルな人形たちが採掘に勤しんでいる。

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このあたりはまだまだ江戸時代。何から何まで人の手で行われる。

そして、江戸時代の坑だからなのか、少し天井が低い。

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きちんとお役人が見張る。

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坑内は絶えず水が染み出してきており、見学通路ももちろん水が滴り落ちてくる。

それは昔も同じのようで、このように水を運び出す人がいたようだ。

辛そう。いやこんなに軽く辛そうとか言えるレベルではないよな。

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この顔である。

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この水の影響もあって、坑内の一部にはこうして茶色く銅が蓄積した部分や

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硫酸銅が青く蓄積している。

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このあたりから明治・大正ゾーン。

うん。一気に近代化した。

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江戸時代末期には産出量が激減し、廃山同然で新政府が引き継ぎ、民間に払い下げられた。それを買い取ったのは、古川財閥の創業者である古川市兵衛だった。

 

何年も赤字を垂れ流しながらも、大鉱脈を見つけたり、第一次大戦による産業の発展や好景気の勢いに乗り、大銅山に育て上げた。

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古川財閥は、現在の富士通横浜ゴム、アルミ板国内トップのUACJ等、今でも日本経済を引っ張る企業の祖先となった財閥だ。

というか、鮎川財閥日立製作所などを生み出すその後の日産コンツェルン)は日立鉱山住友財閥別子銅山等から見るに、今の日本経済の礎の一つを築いたのは「銅」だったといっても過言ではないだろう。

 

もちろん、財閥によるカルテルや富の集中が起きたこと等、闇の部分があったことも忘れてはいけないけども。

それは銅山も同じだろう。

 

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足尾銅山といえば、田中正造や公害のイメージが強い。

これは、日本の産業発展の歴史にとって忘れてはならない闇の部分だ。

 

しかし、同時に光の部分があったことも忘れてはならないように思う。

こうして銅山の採掘による技術の発展、資本の拡大は、日本の現在の産業や経済に大きな影響を与えているのだから。

 

と思いながら、明治初期にタイムスリップしたら銅山を買い占めるという私欲たっぷりな事を心に決めた。

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古河の紋が入った銅のインゴット。いやー重い。

20kgだったかな?片手では無理だった。

 

そしてこの掘削機の体験コーナー!!!実際に掘れるわけではないが、振動を体験できるぞ。これには興奮を隠しきれず、三回はやった。

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おまけ 足尾でつくられた寛永通宝

江戸時代の一時期は、国内や世界でみてもトップクラスの産出量を誇った足尾銅山

しかし、1700年代から産出量が減少し始める。

 

そこで江戸幕府は、鉱脈をみつける山師の救済のために貨幣の製造所を足尾に設けた。

 

その時の歴史がこれまたリアルな人形と共に紹介されている。

坑道を出た場所にミニ展示館がある。

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江戸時代の貨幣とはいえ、かなり丁寧につくられていたことを知り驚いた。

 

汚れを落とすのに洗うのはもちろん

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何度か検品の工程を踏みながら重量や形を丁寧に整えていく。
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 日本の紙幣が精巧であることはよく聞くが、ルーツは江戸時代の貨幣から続いているのだろうか?

 

ということで、この1カ所だけで1記事書いてしまった。

次回は、いよいよ鉱山都市の痕跡を辿っていきたい。

 

では、本日はここまで。