ごみと青い岩

上野で蓮の海に溺れる

 

半年前に訪れた上野公園。またあの蓮の海に行きたくなった。

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X-T5と56mmを携え早速向かってみた。

 

 

今年も深く広い蓮の海へ

半年前に比べればすっかり葉の色味が鮮やかに青々しくなった。

 

この日は最高気温38度。いや~暑い!

暑いのだけれど、夏独特の高揚感が勝り、この暑さも含めた上野の雰囲気を撮りたい!と夢中になってしまう。

 

蓮越しに見る弁天堂が好き。

 

葉の質感が凄い。そして、暑さも凄い。この日はキャップを被ってきたが、首筋に日差しが突き刺さってくる。暑いというか痛い。

このビル好きなんだよなあ。蓮の海越しにガラス張りの建物があるギャップが好き。

 

蓮の花はもう少しで開花しそう。先週撮りに行ったから、ちょうど今は満開かもしれない。

 

明治維新前後の残り香を

お祭りに備えて出店が準備されていた。途中にはビールの広告が出されたままになっており、さすがに「ごくり」と唾をのむ。

手水舎の水がやたらに涼し気に見える。

いつもはこの先の弁天堂で写真を撮るが、今日は上野駅方面へ。

 

目的は彰義隊の墓である。

tokyo-trip.org

戊辰戦争の戦闘として発生した上野戦争

 

江戸幕府最後の将軍慶喜の警護と江戸の警備目的で結成された彰義隊は、慶喜が水戸に引き上げた後、打倒新政府軍と燃える脱藩兵や町人までもが参加するようになった。

 

最終的には上野戦争へと発展し、最新のアームストロング砲も活用した新政府軍により寛永寺も焼野原、彰義隊も大半が戦死した。

以降、逆賊とされていた彼らだが明治7年に墓が建てられる。

今残るのは明治14年に建てられたもので「戦死之墓」とのみ彫られている。

いかに彰義隊の名前がタブーだったか読み取れる。

 

そして、この墓の向かいには上野戦争で新政府軍を指揮した一人の西郷隆盛が立つ。

しかし、西郷もたった10年足らずで今度は新政府軍と戦う事となるのだから、人生は分からないものである。


こうして個人的に好きな明治維新前後の残り香を感じる事もでき、今回の上野歩きも満足。

また定期的に歩きに来たい。

 

では、本日はここまで。