地元住民の希望と熱意の結晶
松本城がある大通りからは少し離れ、ひっそりとした住宅街の方に向かって歩いていく。
すると突如現れるこの和洋折衷な建物。
ちぐはぐ感のない、調和がとれたまさに"折衷”な雰囲気…擬洋風建築と呼ばれるらしい。
ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする。
新しい時代の幕開けとともに、様々な新しい文化が入ってきた明治初め。
そんな明治9年に完成した旧開智学校。前身は、江戸時代の松本藩が設置した藩校の崇教館で、廃藩置県後も残っていた。
明治5年の学制の施行により、開智学校は開設されたが、校舎は廃仏毀釈で廃寺となった建物を使っていたようだ。
その後すぐ、この校舎を建造するために工事費の7割を地元の人々が負担し、3割を廃寺の廃材売り払い等で確保したようだ。
公立学校の工事費の7割を住民からの寄付というのも凄い時代だな…という話だが、それだけ新しい時代と、何よりその時代を生きていく子供たちへの希望や期待に溢れていたのだろうか。
この建物を設計したのは、地元松本の棟梁だった立石清重。
彼が開智学校の設計を依頼されたのは、46歳。 それまで洋風建築に携わったことはなかったが、建物の見学や勉強のため東京や横浜へ自費で行ったそうだ。
この学校にかけられた人々の熱意は、並大抵のものではない。
そんな校舎の中を今でも当時の姿のまま見ることができる。
一階で受付を済まし、校舎内に入る。
おお!思ったよりも学校だ!
旧開智学校の先進性に関心すべきか、私の母校の後進性を悲しむべきか…。
明治の初めに建てられた学校だから、もっとジブリのトトロなんかに出てくるような学校の雰囲気を想像していたのだが…。
廊下の雰囲気も、教室の雰囲気も昭和に建てられた私の母校とそこまで遠くないように感じる。
実際、この校舎自体は1963年まで現役だった。現役時代は、現在の地から少し離れた場所にあったが、移築復元工事が行われた。
タイムリーな企画展 感染症と学校
そうそう。ちょうど感染症の企画展をやっていたんだよね。
当時の役場から学校への通知だったり
先生の日誌なんかも展示してあった。一番右には「天然痘」の文字が見える。
今ではインフルエンザとして一般的となったスペイン風邪。
この時の学校の掲示物も展示されていて、「マスクをせよ」「人と人との間隔を保て」と今でも同じ内容のものが!
学校で刷り込まれたものってなかなか忘れなかったりするものだからな~。
案外、日本のマスク文化の一つの要因だったり…?
細部の美しさ
建物内部の細かい部分には、学校とは思えない洒落た装飾がちりばめられている。
この木目にように見える模様は、ペンキで木目のように描いたものとのこと。
2階の扉にある。これがなかなかリアルで、よくある樹脂製の木目パネルよりも立体感があって木目感がリアル。
今の学校にはまず無さそうな手の込んだ装飾たちがいたるところに。
そして、極めつけはこれだ!なんとステンドグラス!
このステンドグラスも設計者の立石自ら、舶来品を買い付けたものらしい。
ステンドグラスなんて学校にいらんだろ…と思ってしまうのは、学校という教育の場が当たり前のものという前提に生きているだからだろうか。
校舎建築に情熱をかけた当時の人々は、約260年という長い徳川幕府の時代から、新たな時代へと移り行く中で、これからを生きる子供たちへ希望を抱いていたのだろう。
その希望を、自分たちができうる限りの協力をして形としたのではないか、そんなことをこのステンドグラスを見ると思う。
今まで松本城までしか見てこなかったことを少し後悔。
当時の姿をそのままに残す貴重な建物に触れることができて大満足だ!
ちなみに、すぐそばには現開智小学校がある。
きちんと旧校舎をリスペクトした形となっている。
綺麗な校舎だ…。
おまけ 旧司祭館
旧開智学校を出てすぐ目の前に、かわいらしい家がある。
旧司祭館という名のこの建物は、松本カトリック教会の宣教師たちが暮らした家のようだ。
派手さはないけど、素朴なつくりで暖かみがある。
なんか色合いがちょっとお洒落なカフェみたいな感じだ。
名前だけそれっぽいけど普通な味のコーヒーが出てきそう(大偏見)
入館料無料なので、旧開智学校にお越しの際はふらっと寄ってみては?