松代地下壕から始まった松代の町散策。
それもいよいよ今回で最後。
今回は松代藩時代の名残、すなわち真田家が治めていた時代の名残を巡っていく。
当時の建物がそのまま残る松代藩文武学校
最初は松代藩の藩校、文武学校だ。
そもそも真田家と聞くと上田のイメージが強いのではと思う。有名な真田幸村やその父の昌幸は、関ケ原の戦いで西軍となり、大阪の陣で伝説的な活躍を果たす。
一方、兄の信之は東軍となり真田家は分裂。関ケ原の戦い後に上田藩主となるも1622年に松代へ移るよう命ぜられ、以降幕末まで真田家がこの地を治めることとなった。
250年もの間この地を治めていたのだから、今の松代の町はその時に礎がつくられたといっても過言ではない。
中でもこの文武学校は、教育県と呼ばれるようになった長野県全体にも影響を与えているのではないだろうか。
門をくぐると敷地の中に教室棟である文学所や、武道場も備わる広い空間となっていた。
まずは文学所へ。
どの建物も1855年に開校した以来のものだというのだから驚き。
しかも、途中は尋常小学校、小学校の校舎としても使われていたのだという。
こんな所で学べるなんてなんと幸せなんだろうか。
でも、冬は寒いだろうなあ。
美しい弓術所。実際に使われている方もいらっしゃってびっくり。ささっと写真だけ撮って移動。
他の場所を見学していても、ここから矢が的に当たる音が響いてくる。
きっとこんな音を聞きながら講義を受けていたんだろう、そう感じさせてもらえて非常に素晴らしい。
こちらは槍術所。いやあこの天井の高さと梁の素晴らしいこと。
これだけ天井が高ければ槍を振り回しても気にしなくていいな。
いやいや、時代は砲術だよ兄貴!ということで男心をくすぐる砲術を学べる場所もある。実際に銃を持って画面上の的に照準を合わせる。
これが重くてまあ大変。
しかし、なかなかモデルガンでも触れられる機会も少ないしとても楽しかった。
リアルな御殿建築を体感できる真田邸
文武学校を出てからふらふらすると、またしても気になる建物を発見する。
こちらは9代藩主幸教が、義理のお母さんのために建てた御殿。
明治以降、伯爵となった真田家の人々が暮らした建物にもなったようだ。
個人的にすごく興味深かったのは、御殿建築と呼ばれる建物の特徴。
御殿には、来客時に使う部屋や仕事で使う部屋がある「表」と私的な空間である「奥」に分かれた造りになっているという。
まさにこの戸から先が「奥」。表では上の写真のように枡形の柄が引き戸や壁に描かれているが、奥には松などが特徴的な柄に変化する。
ここも奥の間の一つ。天井が昔の団地にありそうな柄になっている。
こうしてオンオフを物理的に切り替えていたというのも、現代人には良いヒントになりそうだ。在宅仕事は特にオンオフの切り替えがしづらいし、こうして物理的に仕切ってみたいものだ。
それにしても江戸時代から残る建物は、纏う雰囲気もやはり違う。
実際に使われてきた建物だからこその重みと、激動の時代を耐えてきた深みのような。
歴史を知るからこそ勝手に脳内で補正をしてしまうだけかもしれないが。
門をくぐり外に出る。
もうここだけ切り出したら江戸時代だな。
とてつもない満足感と充実感を感じながら、松代での予想外の長時間滞在に少しだけ焦る。
しかし、一日歩き倒れても飽きない素晴らしい場所だ。
まだ行けていない場所にもまた行ってみたい。
では、本日はここまで。