にわかカメラ好きの私が、最近さらに声が大きくなったカメラオワコン説が本当なのかを考えてみたくなって書いた雑記。
もうね、本当に今回はただ書きたいことだけ書いてる。
字が多くてごめんなさい。
カメラ業界に思う「明日は我が身」?
6月末、オリンパスがカメラ事業の売却を発表した。
www.bbc.com
ペンタックスユーザーの身としては、我らがペンタックスも再び身売りの歴史を繰り返すのではとヒヤヒヤするものだ。
たがそれ以上に、自動車業界に身を置く者としては、こうした状況を素通りはできなかった。
業種は異なるが、同じ製造業でB to Cの面が強い。(といってもカメラ事業は一部門に過ぎないけど、あくまでカメラ市場・業界として)
そして、大きな共通点は、業界全体が大きな変化に飲み込まれていることだ。
あるモノを所有し使用するユーザーの全てが、そのモノに特別な愛情やこだわりを持っているとは限らない。
むしろ大多数のユーザーは、モノによって得られる効果や成果物に興味関心があることが多いのではないだろうか。
カメラであれば、大多数の人は綺麗な写真が手軽に撮れることを欲しているのであって、首や肩から重量物を下げたり、色んなダイヤルを回したり、ボディの塗装はげに萌えたりとかは不要だ。
toyokeizai.net
簡単に、手軽に、綺麗な写真を撮れれば良いのだ。
となるとスマホにカメラ業界が負けるのは必然とも思う。
だがここでふと疑問に思う。
本当にカメラ業界は"オワコン"なのだろうか。
カメラ業界は元に戻っただけ?~データから見る40年間~
カメラ業界の20年間の変化
少しずつ時代を遡ろう。
2019年現在、カメラ市場は総出荷台数が約1500万台、総出荷金額が約5800億円となっている。出荷台数、金額ともにピークだった2007年や2008年頃と比較すれば、出荷台数は約10分の1、出荷金額は約4分の1にまで落ち込んでいると見て取れる。
2010年頃からの落ち込みは、やはりスマホの台頭が大きく影響しているだろう。
デジカメ出荷台数と平均単価の推移
デジカメ出荷金額と平均単価の推移
注目して頂きたいのは、平均単価とカメラ構成の推移だ。
平均単価は、出荷金額を出荷台数で単純に割った数値だが、出荷台数・金額とは真逆の動きをしている。
2000年~10年頃までのカメラ市場絶好調期は、単価が安いレンズ一体型のカメラがとにかくめちゃくちゃ売れていたと読み取れる。
逆にレンズ交換式のカメラは、2010年ごろまで順調に拡大。
その後、ミラーレスも加わりながら、レンズ交換式としてはほぼ横ばいで推移している。
2000年初頭 どこの家庭にも、いわゆる「コンデジ」は一般的だったと思う。
こういう真四角の。
ちょうどガキンチョとして過ごしていた私にとって、このコンデジを自分のカメラとして買ってもらうのすら羨ましかった。
だから一眼レフのような本格的なカメラは雲の上のものという印象だった。
家のお古となったカメラを勝手に自分のものとしたり。
これこれ!懐かしい!
dc.watch.impress.co.jp
もう少し遡ろう。
デジタル移行前夜 銀塩時代の終焉
フィルム全盛期を本当にギリギリ生きた世代のため、家族で旅行やお出かけが終わったら、フィルムを現像に出していた記憶がある。
とはいっても、我が家は特にカメラや写真好きというわけではなかったため、オートフォーカスのコンパクトカメラを持っていた。(機種は何だったのか全く記憶にないけど…)
恐らく、カメラや写真を特別趣味に思っていない層は、皆そういったコンパクトカメラを所有していたのではと思う。
銀塩カメラ出荷台数と平均単価の推移
銀塩カメラ出荷金額と平均単価の推移
実際に出荷台数や金額を見ても、80年代からぐぐぐぐっと伸びているのは、レンズシャッター式のカメラだ。
そして、それらの普及が進むにつれて、やはりカメラの平均単価は下がっている。
銀塩時代の終盤は、このように単価が安いコンパクトカメラが圧倒的に主力となり、デジタルへと移行した。
そして、デジタル時代に移っても、やはり単価が安いカメラが多数派となっていった。
総括 カメラ業界の約40年間
●80年代から2010年頃まで一気にカメラの大衆化が進んだ
ここでの大衆化とは、レンズ交換式などに比較して単価が安いカメラ(レンズ一体型、デジタルではコンデジ等)が普及したことを指している。
あくまで思い出を記録するため、簡単に、綺麗に写すことを重視する一般的なユーザーが、手軽にカメラを入手できるようになった。
80年代初め頃まではカメラは単価の高い、レンズ交換式が一般的だった。
しかし、フィルム時代に単価の安いコンパクトカメラが登場し、一気に大衆化することとなった。さらにデジタル時代ではコンデジが、その役割を果たすようになった。
●コンパクトカメラやコンデジを購入していた層は、スマホへと流れ出ていった
カメラへ特別な思い入れがなく、あくまで思い出を簡単に綺麗に写せることを重視する人々は、スマホの登場と、スマホのカメラ性能向上とともにカメラを買わなくなる。
故に、カメラは趣味性の高いものが中心に売れる、70年代~80年代初め頃の状態に近い元の売れ方に戻りつつあるように思う。
改めて市場規模を比較すると、この通りだ。
2019年 総出荷台数が約1500万台、総出荷金額が約5800億円
1979年 総出荷台数1400万台、総出荷金額約3000億円
レンズ交換式一眼レフの比率を台数で比較してみると
1979年 46%
2019年 56%
フィルム時代に大衆化が進んでいた 98年は12%、デジタル時代のピークの2008年時点では8%だった。
これらから分かるのは、単価の安いカメラを購入していた層が、スマホの登場によりゴッソリ市場から消えたということだ。
そして、結局比較的単価の高いカメラを購入する層(カメラや写真が好きで購入している層)は、そこまで増えずにずーっと推移してきたのだ。
また、40年前と台数は100万台程度の差だが、出荷金額は2800億円ほどの差があり、技術の進歩とともにカメラは高くなっていることも分かる。
カメラは高くなったけど、わざわざカメラを購入する層は大きく増減することなく、40年前に似た状況に戻ったというのが、カメラ市場の現在なのではと思う。
カメラは"オワコン"か?
"カメラ"として買われるカメラは、より趣味性や高級志向の傾向が強まっていくのだろう。
この40年間、結局一眼レフや単価の高いカメラをわざわざ購入する層というのは増加していないように上で提示したデータからは感じる。
40年間維持できているのだから良いだろう、私みたいにカメラそのものが好きな人たちに響くカメラだけつくれば良いんだ、という見方もある。
だから、高くても買う人は買うし、マニアに「くわああああ分かってんなあああ」っていうカメラをつくれば、ほどほどにカメラ業界は維持できるのかもしれない。
うん。確かにそれでもいいんだよね。別にカメラメーカーの人でもないし。
でも本当にそれで良いのか?
「秒間何コマ、画素数、測距点数、常用ISO領域…」うんぬんの従来のスペック論で盛り上がるだけでいいのか?
カメラを今買ってくれる層にひたすら向いて、内輪ネタで盛り上がっていればそれで良いのか?
カメラとしての新しい価値って無いのか?
スマホカメラのソフト面の良さ、使い勝手の良さを掛け合わせられたり、それらを持ち合わせたスマホカメラとレンズ交換式カメラの中間に位置するカメラとか。
カメラ単体ではなく、カメラを使う生活の楽しさや良さを訴えかける仕掛けもセットの売り方とか。
いわゆるカメラマニアではない人たちが「へ~カメラちょっと欲しいな」って思うカメラの新しい価値って本当に無いのだろうか。
私はクルマ業界の人間だが、マニアの声だけに耳を傾ける事は業界やその市場にとって良いことではないと思っている。
「もっと最大出力が…もっとマニュアルのラインナップを…」
もしクルマ業界が、私のようなクルマ好きの声だけを聞いていたら、どの会社もフェラーリなどの超高級スポーツカーメーカーになるか、とんでもない赤字を垂れ流し続けて倒れるしかない。
でも、それだと車を使いたいのに使えない人々が出てきたり、車があるとこんなに人生が楽しくなるのか!と感じる人々も少なくなってしまう。
それってやっぱりクルマ好きにとっては寂しいし、悲しいことだと思う。
だから、やはり既存の価値観だけに応えるのではなく、新しいこんな価値もありますよってカメラメーカーは訴えて欲しいな…っていうワガママを思う次第…。
てめえ何様がそんな口きいとるんじゃ!って話ではあるんだけど、各カメラメーカーが少ないパイをただ奪い合うだけでは、やはりカメラはオワコンになってしまうかもしれない。
だから、もっとカメラメーカーは挑戦しても良いと思う。
そして、1人のカメラ好きとして、カメラメーカーの新しい挑戦や提案に対して「良いものは良い」とニュートラルに判断して応援できるカメラ好きでもありたいとも思う。
多分過去一番にまとまってないな、この記事。
すんません。
では、本日はここまで。
参考URL:カメラ映像機器工業会 CIPA REPORT http://www.cipa.jp/stats/report_j.html