YouTubeからおすすめされた一つの動画をきっかけに、完全に私はRCカーへの熱を取り戻してしまった!(スターウォーズのエピローグ風)
実家から持って帰ってきてからというもの、どこをいじって走らそうか妄想にふける日々。
またブログのカテゴリー増えちゃうよ…。
グラスホッパーとの再会とRCカーを始めたきっかけ
YouTubeで動画サーフィンをしていると、突然こんな動画がおススメされてきた。
私は衝撃を受けた。
「なぜ…なぜお前は俺がこのRCカーを持っていたことを知っている…!」
そう、私は小学校5~6年生から中学校の前半くらいまでラジコンにハマっていた。
といっても、初めて買ってもらったこの「グラスホッパー」1台をひたすらいじり倒し、幕張や新習志野の空地へ行って走らせる日々だった。
そもそも今時点で社会人3年目の人間が、ラジコンに興味を持ったのかというとこの本がきっかけだった。
プラモで有名なタミヤのマークがでっかく印刷されたこの文庫本に、当時小学5年生だった私の心はぐっと掴まれた。
父は模型やRCカーブーム全盛の1970年~80年代を少年時代として過ごした男だ。タミヤには散々お世話になっていたがゆえに、きっと本屋でこの表紙を見かけて惹かれてしまったに違いない。
だがこの本は見た目だけでなく、中身が本当に素晴らしい。この本自体は通算で10回近く読み返している気がする。こんなにリピートしているのは、この本くらいだ。
タミヤの現会長兼社長の田宮俊作氏自らが著した本で、戦後の木製模型屋から出発し、いかにして世界のTAMIYAとなったのか、その軌跡を著したものだ。
この本を語り始めると止まらないので別の機会としたいが、これを読めばきっとタミヤ製品が欲しくなるのは間違いない。
そんでもって、影響を受けやすい私は、タミヤの製品を実際に手にしたくなって仕方がなかった。中でも、やっぱりクルマ好きとしては自分自身の手で組み上げるRCカーに惹かれた。
グラスホッパーとは?
数々のRCカーが発売されていた80年代。
RCカーは、本体だけでも1万円後半、コントローラーやその信号を受信する受信機、操舵を制御するサーボなど、総額2万円後半から3万円以上することが普通だった。
そこに構造を簡易化し、1万円を優に切る低価格化したグラスホッパーを登場させた。今まで欲しくても買ってもらえなかった少年たちにも、RC カーを手の届く存在にさせた1台だ。
オフロードを走らせられるバギータイプに、このレトロな雰囲気。両親への価格面の説得。平成を生きていたgomi少年にもすべての条件を満たしたマシンだった。
構造もシンプルで、組みやすく、いじりやすいというのも特長だろう。
この人のブログとかよく読んでたのよね~!最近、この人のYouTubeチャンネルも見つけて時代の流れを痛感した。
カメラでぶっ壊した金銭感覚の恩恵 カムバックのハードルの低さ
入手してからは暇なときには常にこいつをいじるようになった。
当時小学生だった私にとって一大改造だったのは、フロントサスペンションのオイルダンパー(実車と同じように、バネだけでなく油の粘り気による抵抗力で衝撃を吸収する)化だ。
グラスホッパーは、前も後ろもただのコイルスプリングがついているだけ。だからひょこひょこ跳ねやすい(グラスホッパーの由来)。
シャシーと一体のサスマウントを切り落とし、別の車種のサスマウントをはめ込んでオイルダンパーを組み込んでいる。いや~少年にとっては結構お金もかかったし一大改造だった。
けど、あまり変化を感じなくてガッカリした。
ちなみに、リアもオイルダンパー化している。これは、兄弟車のホーネットという車種の部品を流用できる超おきまりチューニング。
しかし、このオイルダンパーは、私の叔父さんが少年時代に遊んでいたホーネットの部品。オイル漏れも酷く、動きが悪い。
ということで、これは最近の部品に交換していこう。
もう大人だし。
そして、カメラの世界で完全にぶっ壊した金銭感覚は、ラジコン関係の買い物のハードルをぐぐっと下げてしまう恐ろしさ。
久しぶりに模型屋さんでウキウキしながら部品を見つめ、3点もお買い上げ。加えてアマゾンでもベアリングもポチッ!
あれ?まだ3000円くらいだぞ?万単位じゃない世界ってやさしいなぁ。
とりあえずホイールのロックナットをアルミ化。次はギアボックスの中を分解して清掃してみようかな。
一通り整備してから走らせてみよう。
ということで、これからRCカーネタも徐々に織り交ぜます。
ジャンルごちゃまぜですんません。
では、本日はここまで。