ごみと青い岩

家族が増えました~ミニチュア・シュナウザーがやってきた~

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家族が増えた。

生まれて約4か月のミニチュアシュナウザーがやってきたのだ。

名は、ヴェルナー君だ。

 

 

 

犬との暮らしに憧れた原体験

私の曾祖母は長生きで、103歳の大往生を遂げた。

だから、「ひいおばあちゃん」の家にもよく遊びに行ったものだった。ひ孫として可愛がられるという経験もそうそうないと思うが、結構可愛がってもらった記憶がある。

 

そして、山梨にあった曾祖母の家には、ポチという柴犬がいた。

 

小さい頃は夏休みや冬休みになると曾祖母の家へ遊びに行っては、ポチと遊ぶのが楽しみだった。

そんな原体験が頭の片隅に染み込んでいて、犬と暮らしたいなあとずっと思っていた。

 

とは思いつつも、千葉の実家では飼えなかった。

しかし、この群馬の地であれば、ペット可物件も家賃が手頃なため引っ越し含め計画を進めてきた。

 

勝手に感じる運命

飼う犬種としては、あまり愛玩犬感が強くない犬と暮らしたいというざっくりしたイメージがあった。

犬とは家族であり、相棒のような関係を築きたいと思っていたからだ。

 

うーん。そうすると柴犬とかかなあとも思ったが、抜け毛が凄まじいことを知った。f:id:blue_rock53:20210530212855j:plain

そうすると毛が抜けにくい犬種が希望に追加され、何となくミニチュアシュナウザーが良いかな~というイメージが固まっていった。

 

ブリーダーから買うという方法もあるが、なかなかシュナウザーを扱うブリーダーも少なく、ペットショップを何軒か巡ることにした。

3~4匹抱っこをさせてもらったが、一番目を見てくるし、少し様子を見ながらペロペロと手や顔を舐めてくるこいつに勝手な運命を感じてしまった。

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みんないうよねこういうこと。

 

「いやいやまさか自分が」と思っていたのに…。

 

ということで、こうなった。

 

 

生命を育てる事への不安とよろこび

とはいえ、モノとは違い一つの命をきちんと育てる事になる。

本当に育てられるだろうか…その不安で一杯だった。

 

1冊犬の本を買って熟読してみたり、YouTubeに上がっている子犬のしつけ動画を漁ってみたりしたものだが、なかなかその不安は消えない。むしろ増すばかりだった。

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だが、我が家でもだいぶリラックスした姿を見せるようになり、トイレやハウスを少しずつ覚えていく様を見ると、その不安も少しづつ溶けていく気がする。

 

とはいっても、日々遭遇する初めての行動に戸惑い、不安を覚える事も多いのは事実だ。

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そして、犬という動物の頭の良さには本当に舌を巻く…。

 

トイレをきちんとできたら、ご褒美のおやつや、外に出して遊ぶという事をしてきた。

すると、自分が遊び足らない時、小便を小出しにしてアピールしてくるのだ。

 

油断をしていると、ヴェルナーに舐められてしまいそうだ。

まあ物理的にも顔とか手は舐められまくりなのだけれど。

 

これからよろしくね

ヴェルナーの由来は、ドイツ人科学者であり、戦後のアメリカで宇宙開発の父ともなった「ヴェルナー・フォン・ブラウン」だ。

ミニチュアシュナウザーの原産国がドイツだったことから、ドイツ人の名前をつけることにした。

 

koyamachuya.com

 

彼は、少年の頃に抱いた宇宙への夢をひたすらに追い続けた男だった。

我が家のヴェルナーも、存分に楽しみを追い続ける犬生を送ってほしい。

 

私たちも努力するぞ。

 

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でも今のヴェルナーの夢は、きっと一粒でも多くのフードを食べる事だが…。

 

ということで、今後はヴェルナーの様子も綴っていこうと思う。

 本格的なお出かけもできるようになったら、その様子なんかもあわせて。

 

では、今後もヴェルナー共々よろしくお願いいたします。

 

初夏の日光東照宮を歩く

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緑が美しくなってくると、自然豊かな場所へ行きたくなるというもので。

久しぶりの日光へ足を運んだ。

 

とはいっても、ほとんど東照宮しか行っていないのだが・・・笑

 

 

五重塔の心柱特別公開に遭遇

なんだかんだ最後に日光へ行ったのはこのエントリー以来。

blue-rock53.hatenablog.com

 

今回は、紅葉ではなく新緑の日光で癒してもらおう。

 

 何度か東照宮に来たことがある人ならば、この広い道は見覚えがあるだろう。

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 さすがに結構人がいる。もうGW最後の土日だったけど。

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やはりこの杉の木の高さから来るものか、周辺一帯の厳かな雰囲気。

日光独特だよね。

 

何気なく撮った五重塔。なんでも、今は内部の心柱が特別公開中だというではないか。

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心柱構造は、スカイツリーにも採用されたという事で一時期話題になった。

 

五重塔は、耐震性を確保するために各層が独立している。下から上まで柱などが通っていないのだ。

地震が来ると、各層がゆらゆらと蛇のように揺れる。 

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でも、揺れすぎると各層が暴れて崩壊してしまう可能性がある。

そこで考え出されたのが心柱だった。

 

心柱は、右に左にと傾いても必ずもとに戻ろうとする。

 

各層の独立性は保ちながら(くっついてはいない)が、激しい横揺れが来た時には各層にぶつかりながら元に戻ろうとするのだ。

五重塔全体が振り子のようになりながら、揺れをいなしつつ、崩壊してしまうほどの横揺れを防ぐことができるという優れものだ。

 

www.torisumi.net

 

がっつり御開帳されていた部分は撮影禁止だが、ここからチラ見することができたので撮影。なんとここの心柱は、地面にはついていない。

吊り下げられているのだ。

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え、そんなんでいいの?とも思ったが、

経年で五重塔全体が縮んでしまったりした際に、心柱だけが飛び出るのを防ぐらしい。 

 

www.toshogu.jp

 

江戸時代に生み出された工法というから、当時としては最新の工法を取り入れていたのだろう。

 

久々のご対面 修復工事後の陽明門と家康様

さてさて、よいよいよ本殿に向かって歩きだそう。

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こんなにきらびやかでしたっけ…? 

 

ついに奥の方に姿を現した陽明門。

2013年から平成の大修復がはじまり、2017年に工事を終えた。

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どーん。いやあ美しい。

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最後に来たときはちょうど工事中で、足場やら幕やらがあって全く姿を見られなかった。

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付け入るスキが無いというほどびっしりと装飾が施されている。

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やっぱり似ている。何と似ているかというと、去年行った妙義神社

blue-rock53.hatenablog.com

 

日光の東照宮と同じ彫刻職人が携わったと聞いたが、やはり本家を見てみるととても似ている。

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まあきらびやかさは、日光東照宮が圧倒的だけど…。

建物全体の雰囲気としては妙義神社の方が好きだ。もう少しシックな感じで。

 

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そうは言っても、この人の墓があるここを凡人の好みに合わせてはいられまい。

 

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天下人であり、260年以上続く江戸幕府をつくり上げた男 。

徳川家康の墓である。

 

とはいっても、本当に遺体がこの中にあるかどうかは分かっていない。

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家康が晩年を過ごした駿府城近くにある久能山。ここにも家康の遺言を叶えるために東照宮が建てられており、遺体は久能山にあるのではという説もある。

shizuoka-hamamatsu-izu.com

 

一度も発掘調査はされておらず、真相は分かっていないという。

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 そんなミステリーもまたここ日光の神秘的で厳かな雰囲気をつくりだすのに一役買っているのだろう。

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帰りは一応三猿もみていこう。相変わらずの表情である。

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 美しい初夏の緑を見上げながら、東照宮を後にした。

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油源 繊細で絶品のランチ

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神橋を横目に昼飯を探す。

何度も見たことはあったけど、入ってことはない店。今日はここ油源(ゆげん)さんに入ってみた。

 

www.aburagen.jp

 

ランチはいくつかの定食メニューから選べる。私は、栃木牛めしをチョイス。

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これで1250円。結構いい感じだぞ!

ということで味噌汁をじゅるり。

 

え・・・うまい・・・!ごま油がたらしてあるのか、とても香りが良い。でも後からダシのうま味が来る。

この牛めしはいう事ございません。お肉も柔らかく、味付けも甘すぎずで箸が進む

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でも、このお店の凄いところは小鉢一品ずつがどれも美味しいところ。

こりゃ違うメニュー食べに来たいなあ。

 

日光にお越しの際はぜひ。

 

 

では、本日はここまで。 

舘林藩より続くつつじが岡公園のつつじ祭りへ

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花言葉を教えてくれた人のことは忘れないらしいよ」

この間久しぶりに話した高校の同級生がそんなことを言っていた。

 

なんだいそれ。

 

そう思ったけど、もしかしたらこのブログのことをいつまでも忘れないでいてもらえるかもしれない(唐突なメンヘラ)

 

今回の主役、つつじの花言葉は「節操」「慎み」だそうだ。

 

いいい一体何を慎めとおっしゃるか…?物欲…?

 

館林藩から続く歴史ある公園 

もう行ったのはかれこれ3週間前だろうか?もうこのツツジ達も枯れてしまっただろう…。

 芝桜でも見に行こうかと思っていた週末、群馬県内にツツジがきれいな所があるとのことで、早速向かってみた。

 

www.city.tatebayashi.gunma.jp

 

 

元々、古来より野生のヤマツツジが自生していたというこの地。

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歴代の館林藩主達が、様々なツツジを持ち寄って移植していったらしい。

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舘林藩主だけでなく、徳川綱吉も日光からツツジの木を贈っているようだ。

 

www.city.tatebayashi.gunma.jp

 

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舘林藩主主催の「ツツジを見る会」…なんて名前じゃなかったかもしれないが、花見を催したりと名物になっていったようだ。

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明治期に一度荒れ果ててしまったようだが、そこから再興し今に至るらしい。

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色とりどりのツツジたち

それにしてもここのツツジたちは色とりどりだ。

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ツツジってこんなに色々種類があるのか。

ツツジって日本に何種類くらいあるのだろうか。

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調べてみると、日本だけで17種類自生しているようだ。

アジアで見ると90種類ほどあるらしい。

 

原産地はやはり日本や中国といった東アジアが中心のようだ。

 

ピンク、深紅、薄ピンク、と。グラデーションが美しい。

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 奥に見えるのは城沼。

この城沼があるおかげで、この公園の解放感は素晴らしいものがある。

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白も綺麗だね。赤ベースの色が多い中、シンプルな白は逆に美しい。

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いや~新緑の時期だね。赤ばっかりだったからか、緑に目が奪われてしまった。

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公園内には日本庭園もある。

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庭園の中にもツツジが抜かりなく。

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ここには地域猫なる猫がいる。野良猫なのかと思っていたら、去勢・避妊手術がされて保護されているらしい。

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寝てる猫の前に来ても全く動じない。

 

まあ人に慣れている。揃いも揃って日向で気持ちよさそうにしている。

いいなあ私もこのまま日向で寝ていたい。

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人間も城沼を見ながらのんびり。

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私もしばらくのんびりしていこう。

 

美しい茅葺屋根の古峯神社と雄大な古峰園

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ちょうど1年前くらいにGoogle map で見つけた「古峰神社」。

これマジ行けるんか?と少々疑ってしまう雰囲気の場所。

でも、茅葺の屋根がとても印象的でずーっと行ってみたかった。

 

地図で確認できる場所は山の中も山の中。

 

 少々不安だが、早速行ってみよう。

www.furumine-jinjya.jp

 

久しぶりの雨 濡れた景色が写欲をそそる

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行ったのは2週間前くらいかな?丁度この日は雨が降っていた。

 

大鳥居を撮るにもレンズに水滴がのらないように慎重に撮る…。

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この日は久しぶりのガッツリ雨で、防滴のPENTAX K-3も喜んでいる(大嘘)。

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どうやらここは天狗伝説が有名なようだ。

高尾山や、去年行った迦葉山を思い出す。

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blue-rock53.hatenablog.com

 

濡れた緑のしっとり感やこの色乗り…良いなぁ。緑を撮るのが楽しい季節になってきた。

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しばらく境内を進んでいると、いよいよ大拝殿に到着!おおお!茅葺だ!

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この雰囲気は神社では珍しい気がするのだが、全国探せば結構あるもんだろうか。

前に行ったこことか↓くらい

blue-rock53.hatenablog.com

 

今度、他の茅葺がある寺社仏閣も探してみよう。 

 

ヤマトタケル伝説と古峰神社

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さて、この古峯神社はあの東国等を討伐したヤマトタケルを祀る神社だ。

今から1300年以上前、京都から来た藤原隼人なる人物がいきなり「ヤマトタケル様祀るで」とはじめたのが起源のようだ。

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いまいち藤原隼人って人物が、調べてもはっきりしない。

公式HPにはあくまで「隼人」となっている。

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「隼人」だけで調べてみると、古代において九州の熊本や鹿児島に住んでいた人々のことが出てきた。

 

ヤマトタケルは、東国征伐の前に「熊襲(クマソ)」という九州の人々を征伐したという神話が古事記日本書紀に描かれているという。

この「熊襲」なる人々は、「隼人」をモデルにされたと考えられているらしい。

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 実際、隼人も朝廷に反抗したりなんかもしたようだが、最終的には討伐されて朝廷の支配下に組み込まれたようだ。

 

mykoho.jp

 

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 隼人の一部には、京都に移住させられたりもしたらしく、官職としても「隼人司」なるものが設けられている。

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もしかして、起源に関係した隼人もこの隼人が関係しているかもしれない…?

 

山の中に開かれた庭園

古峰神社の隣には、古峰園という日本庭園がある。

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1977年につくられた庭園ということで割と最近の庭園ではあるが、とても雄大で美しい庭園だった。

www.furumine-jinjya.jp

 

受付のすぐ近くには川も流れ、神社からはまた雰囲気が変わる。f:id:blue_rock53:20210506230658j:plain

 

一面の苔。これは撮らずにはいられない。

実は古峰園なる庭園があることは知らずに来ていたため、この先にどんな景色があるかこの時は知らない。が、これで一気に期待値が上がる。f:id:blue_rock53:20210506230718j:plain

 

森を抜けると…これである。

緑の中に浮かぶしだれ桜、背景の山々と相まっての雄大な景色…。これは美しい…。

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これはむしろ雨で良かったなぁ。

 

ピーカンな天気より、この天気の方が厳かな雰囲気がある。あるよね…?

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池の周りをぐる~っと歩く。

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こういう緑の出方がやっぱり良いよね。

あ~やっぱりK-3Ⅲ欲しい。

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緑もいいけど、このしだれ桜の桜色も色が濃くて美しい。

周りが緑だからここそ余計に映えるものだ。

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庭園にはもっと望遠を持ってきても楽しいだろうか。

でもやっぱり広角や標準画角が好きだから、買うレンズもついついこの辺りが多い。

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雨の水滴が滴るしだれ桜。少し霧がかった背景の杉林も幻想的だ。

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え、これ300円でいいんですか?

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久しぶりに全身濡れながら写真を撮ってしまった。

学生の時には時々やったものだが、たまにはこういう事もしないとな!

いつまでも大きい男の子でいるために。


冗談はさておき、車のアクセスも一苦労な古峰神社。

こちらへお越しの際は、ぜひとも古峰園もセットでご拝観くだされ。

 

 

本日はここまで。

 

ネモフィラ × PENTAX ~ひたち海浜公園~

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今回はもはや誰もが知る、ひたち海浜公園ネモフィラ

 

いや~前回まで足尾銅山ですぞ?

この振れ幅どうする? 

 

でもここはブレずに載せておきますGoogle Map。

 

お決まりの公式HPも。

hitachikaihin.jp

 

想定のハードルを軽く超える美しさ

朝6時に群馬を出て、8時過ぎに到着。

混雑を警戒してきたのだが、まだまだ想像より人は少ない。

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それにしてもすげー!一面のネモフィラ

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インスタやテレビなんかでよく見かける場所だから、ある程度期待した状態でここに来た。でもそのハードルを軽く超えてくる美しさだ。

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こりゃずるいや。

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人を入れても

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縦に撮っても

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寄っても

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何したって綺麗に写る。何だか逆に撮る意欲を吸い取られていく…。

 

私のように引き出しの少ない人間は、このように似たような写真ばかりしか撮れない…。

せめてもの抗いは、PENTAXという少数派で撮ることくらい(クソ雑魚)。

 

そうそう。ネモフィラにすっかり気を取られていたけど、海もすぐそばにある。

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海と空とネモフィラと。当ブログのテーマカラーでもある青尽くしだ。

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 戦争と切り離せない場所

 恥ずかしながら初めて知ったのだが、ここひたち海浜公園は戦争とは切っても切り離せない場所だった。

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1938年に水戸陸軍飛行学校が設置され、飛行場も整備された。

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その後、この飛行学校は仙台に移るが、三重の明野飛行学校の分校として利用されるなどし終戦に至った。

戦後は、アメリカ軍の射爆場として利用されたらしい。

 

www.hiraisokan.jp

 

軍用機の射撃や爆撃の演習場になっていた(アメリカの領土だった)訳だが、1973年に日本へ返還され、公園として整備されるに至ったという。

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ちなみに、射爆場跡は現在 砂丘エリアになっている。

 

↓こんな感じで砂がふかふか。

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 今となっては年間200万人(コロナ前まで)が訪れる観光地だ。

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昨年度はコロナの影響で9年ぶりに100万人を割ってしまったようだが、これだけの美しさならばコロナ収束後すぐにV字回復となりそうだ。

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正直、この時期は混んでるし、ミーハー(死語)が行く所だと思っていたが、本当にごめんなさい。

とても素敵な場所です。

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私はこのネモフィラ管理担当になったら重圧で胃潰瘍になりそうだが、毎年これだけ美しく咲かせるスタッフの皆様は本当に尊敬だ。

 

私のように少し敬遠していた人も、ここはぜひ直接訪れてみて頂きたい。

 

では、本日はここまで。

”鉱都”足尾の跡を巡る No.2 ~旧小滝地区~

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さて、"鉱都"足尾の往時の姿を廃墟から妄想した前回。

blue-rock53.hatenablog.com

 

今回で足尾巡りも終わりだ。

気合入れていくぞ。

 

 

小滝坑跡と旧小滝橋

 

江戸時代のに掘られた旧坑だった小滝坑。

明治になり足尾銅山を買い取った古川市兵衛は、ここを再度掘り進めることにした。

 

そのおかげで小滝地区は一時1万人以上の人口を誇る集落にもなったという。

 

その小滝坑から鉱石を運搬する機関車用の橋が、旧小滝橋だ。

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 大正15年に架けられたという旧小滝橋

 

橋の奥には小滝坑が見える。

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このたくさんのトラス。堪らんですな。

シンプルでモダンな橋も良いけど。

 

あちら側には道路を歩いていけば近くまで行けそうだ。 

 

ということでこちらが小滝坑。1954年に閉じられて以降、小滝地区も消え去っていってしまったようだ。

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 ここには橋の上にはもう無かった軌道も残っているぞ。

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 しかし、この辺りだけで1万人も人口がいたとは想像ができない。

それだけ大正頃までの銅山採掘には人手が必要だったという事だろうか。

 

小滝火薬庫跡

小滝坑のすぐ近くにもう一つ行きたい場所が。

 

ここ。小滝火薬庫跡。

採掘用の火薬を明治頃に保管していた場所らしい。

しかし、入り口が分からない。

 

はてさてどうしたものか。どこから行くことができるのやら…とカメラを片手にふらふら。

 

すると、小滝橋の脇に細い道を発見。 道…?だよな…?f:id:blue_rock53:20210421213313j:plain

 

あったー!

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いやいや案内板よ、もっと前へ。

こんな場所に火薬を置いていたのか。結構ガバガバだな…警備員とかいたのだろうか。

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そして、このオーバーハングした岩を見てふと思う。

これ、なんか登れるルートがありそうだな…とついクライマーの発作が。

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下からじっくり岩を見上げ、「この辺からスタートして… あそこ持って…あれ?これやっぱ登れそうじゃね?」と独りつぶやく。

 

そんなことをしながら自分なりにルートを想像しながら、目線を上にやっていくと…。

 

あ。やっぱりあった。

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これはクライミングの際にロープを掛ける支点だ。やっぱり登る人いるんだなあ。 

 

さて、銅山関係に戻る。火薬庫跡のすぐ近くには、削岩機のトライ跡が。

集合体恐怖症の方々すみません。

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前々回に紹介した↓これだ。たぶん。

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3回も体験しておいて良かった。この穴を見てすぐにピンときたもの。

良い子のみんなも、足尾銅山の削岩機体験コーナーはやれるだけやろう。

 

小滝選鉱所・製錬所近くの社宅跡

 小滝坑の方から下ってきて、小滝を見に行くつもりだった。

 

 

上から降りてきて目についたこの階段跡。きっと選鉱所・製錬所跡の一部だろうと思っていた。

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「何だか思っていたよりも基礎やら色々小規模だなあ」なんて思いながら写真を撮っていた。

気になって帰ってから色々調べていたのだが、ここは青葉寮という社宅の跡だったようだ。

 

www.arinoki.com

 

とりあえず、登れる階段があれば全部登り、行けそうなところは全部行く。

 

それが今日の相棒PENTAX K-3との合言葉。

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最初の階段を登り終えると少し開けた場所に出る。

う~ん…わずかにコンクリートの基礎が残るのみ。

 

少し歩くとさらに上に行ける階段を見つけた。

冒険心を思いっきりくすぐられながら、倒木をくぐる。

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むむむ。まだあるぞ!登れぃ!

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ここはだいぶ基礎が残っている。

2回ほど階段を登ったが、どの場所も山にへばりつくように建物があったようだ。

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あまり広さも高さも無い長屋ベースな社宅だったのだろうか。

 

おおお!何だか釜戸らしいものがあるぞ。

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青葉寮の共同釜戸だろうか?さすがに製錬関係の設備にしては小さいだろうし。

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釜戸付近に落ちていた欠けたレンガ。

「MINOYO...」と読める。レンガのメーカー名?ネットでは検索にヒットしなかった。

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レンガオタクの方、情報お待ちしています。

 

こんな感じで山を歩きながら写真を撮った1日であった。

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さすがにお腹がペコペコ。よく歩いた一日だった。

 

シンプルな旨さ ないとう食堂

ということで、足尾の町から離れて少し北上。ないとう食堂へ。

 

タンメンとソースカツ丼が有名なのかな。これを頼んでいる人が多かった。 

 

しかし!私は野菜炒め定食。厨房から聞こえてくる炒め物の音にやたらにそそられてしまいチョイス。

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 これが大正解。なにこれ。なんでこんな旨いんですか?

 

少しニンニクも効いているのか、どうにも箸が止まらない。シンプルなんだけど家ではなかなか再現できない旨さ…。

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連れはソースカツ丼をチョイス。これまた旨い。

ソースカツ丼というよりも煮カツとソースカツの間みたいな。肉汁とダシとソースがじゅわっと染み出してくる。

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 足尾や日光方面に行く際はぜひお立ち寄りを。

 

3回も足尾だけで書いてしまった訳だが、まだまだ見たい所はたくさんあった。

これら以外にも、鉱都として栄えた跡は散らばっている。

 

これからも少しづつ、足尾の往時の足跡を辿っていきたい。

 

 

では、本日はここまで。

”鉱都”足尾の跡を巡る~小滝小・第三中学校跡他~

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さて、前回は坑道の跡を見学した足尾銅山

いよいよ本丸の廃墟巡りだ。

 

blue-rock53.hatenablog.com

 

写真のデータを見返すと記憶以上に写真を撮っていた…。

ということで足尾銅山は3回に分けてお送りする。

 

何だか海外ドラマみたいになってきたな…。いつのまにかシーズン3まで決まっているなんて。

 

 

 小滝小学校・第三中学校跡 

いきなり今回の目玉からいくぞ。

学校”跡”という響き。う~んなんともロマン溢れる。

 

さてさてやってきた。きちんと公式の看板が立っている。

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 ここを上がっていく…のか?階段の面影がうっすら残っている。

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なかなか当時の写真が無かったが、足尾中学校の公式HPに写真があった。

www.nikko.ed.jp

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足尾中学校HPより引用

今度はきちんとした階段に到着。写真下側から伸びる坂道が右斜め上に向かって折り曲がっている階段がここだろう。

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階段を登った所には、校門の残骸らしきものが残る。

写真でも校門のようなものがうっすらと確認できる。

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再び当時の姿を振り返る。

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足尾中学校HPより引用


ここが階段を登り切った広場にあたる所と思われる。

奥には左側校舎の石垣跡が見える。

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思っていたよりも全然面影があるじゃないかっ!

いや~興奮が抑えきれない。

 

かつてはここにも多くの子どもたちが学び笑いあっていたはずだ。

今となっては基礎からしか想像ができないが、当時通っていた人が見ればすぐに思い出せるのだろうか。

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第三中学校は昭和28年(1953年)に閉じられたようなので、まだ当時通っていた方も生きていらっしゃるはずだ。 

 

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ここは恐らく右手前から奥に伸びる校舎の基礎だろう。

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足尾中学校HPより引用

この石垣は左側の校舎付近にある石垣だろう。

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ここは階段もしっかりと残っていた。

 

当時の写真を見てからでないと想像がしにくいと思うので、実際に行かれる際には上の当時の写真を見てから行くと良いだろう。 

 

旧鉱盛橋跡と坑夫浴場跡

 続いてもう少し北上する。

 

地図でピンを打った所には旧小滝支局木橋の案内板があるが、痕跡を確認できるのは旧鉱盛橋の跡だ。こちらが現在の鉱盛橋。

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道端の古い道標には「くわうせいばし(こうせいばし)」と読める。

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橋があったのならば、と橋脚跡を探してみた。

恐らくこれだろうか?

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もう少し歩くと、坑夫浴場跡がある。

 

仕事帰りにここで身体の汚れや汗を洗い流したのだろう。

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もっと銭湯くらいあるのを想像していたが、これでは4人くらいしか湯船につかれなくないか?

 

どうやら外堀のような部分で身体をいったん流し、その後に内側の湯船につかるという仕組みだったようだ。

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銀山平社宅跡

最後はこちら。

 

ashiodozanworldheritage.net

 

ここ銀山平には、↓のように数多くの長屋形式の社宅が建っていたようだ。

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足尾銅山世界遺産登録を推進する会HP 産業遺産の見どころ より引用

 今となっては石垣くらいしか残っていない。

ちょっと残念ではあるが、下調べをしておかないと意外と何気なく通り過ぎてしまいそうだ。

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少なくとも社宅の跡だとは想像しないだろう。

過去の写真からは一帯が完全な街を形成している様子が分かるが、今はもう山の一部に帰りつつある。

 

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石垣の上にも、基礎等の遺構もほとんど存在しない。

 

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もはや、ここで生活していた人々の痕跡は皆無に等しい。

 

過去の記録や写真が無ければ、あっという間に忘れ去られてしまう。

これがもし自分の故郷だったら、ここで幼少期を過ごしていたら、この景色を見てどう感じるのだろう。

 

「歴史の流れだから」と素直に受け入れられるのだろうか…。

 

子ども時代の遊び場が宅地開発で見る影も無くなっただけでも、私は一抹の寂しさを感じてしまう人間だ。

とても容易には語れまい。

 

次回でひとまず足尾の町巡りは最後となる。

 

 

では、本日はここまで。