ごみと青い岩

【映画】ルックバックの感想を綴ってみる



珍しく映画を観てきた後の感想を綴ってみたいと思う。

※ストーリーにはほぼ触れないものの、微妙なネタバレありのため、鑑賞前の方はブラウザバックを推奨いたします。

 

 

作品は藤本タツキ氏の漫画が原作の「ルックバック」。

lookback-anime.com

 

何故に珍しく映画レビューなんて書こうと思ったのか。

一番は映画がめちゃくちゃ良かったから。しかし、小難しい言葉や考察が並べられているレビューが多く、あまり共感できるレビューが無かった。

私は映画や小説などを味わった後、レビューが書いてあるブログなんかを読んで余韻に浸るのが好きなのだが、「ああそうそう!」となるレビューが少なかった。

 

何だかそのフラストレーションを吐き出したくて書き綴りたくなった。

 

早速、3つのテーマに分けてレビューを綴っていきたい。

あらすじ等は公式ホームページにも掲載されているため、そちらでご確認いただきたい。

※今回は文章メインの記事となり、長文でございます。ご容赦ください。

 

 

美しい映像と劇中曲

まず冒頭のアニメーションの美しさと音楽でぐっと惹きこまれた。

ヌルヌル作画とかそういうタイプではなく、まさに絵が動いている。でも、光の描写は妙に現実的でとても美しい。そこにこの曲。

そんな中で映し出されるのは、夜中に勉強机に座り必死に頭を捻りながら4コマ漫画を描く藤野の後ろ姿。「こんなに必死に机に向かったのっていつだったかな」と思わされる。

これでぐっと惹きこまれる。

 

みずみずしくて、でも決して淡くなどなく、暖かみがある美しい映像だった。

なんとこの映画は原画にそのまま色付けされる形で動いているらしい。

natalie.mu

 

そして、その背景に流れるharuka nakamura氏の劇中曲がどれも美しい。

青春の中の楽しかった時、嬉しかった時、悔しかった時、どの瞬間を思い出してみても凄く眩しくて、みずみずしい気持ちみたいなものが溢れる事はないだろうか。

何だかそれがそのまま表現されているような美しさ。何度も鑑賞中「音楽ええなあ…」と沁みていた。

 

共感する挫折と喜び

「上には上がいる」

この挫折は誰もがどこかしらで1回は経験するものかと思うが、こと創作系でこれにぶち当たる辛さというのは本当に心に来るものがある。

 

素人なりに色々かじって写真とブログに落ち着いているが、実は一時期舞台演劇の脚本を書いていたことがある。中学時代の部活がそこそこ強豪の演劇部だったこともあり、どっぷりとその世界に浸かっていた時だ。

 

中学~高校の途中ぐらいまで、↓の投稿型脚本サイトに投稿したり、脚本のコンクール的なものにこっそりと応募してみたこともあった。

※投稿した脚本は私が「挫折」したことでサイトにログインしなくなり、運営ルール上非公開となっている。探しても無駄だぞ!

haritora.net

 

約60~80分を想定して書いていたが、一本の脚本を完成させるのには相当の時間がかかった。中には半年~1年を費やすものもあったが、時間を費やせば良いものが出来て評価されるかというとそうではない。

見向きもされないことがほとんどなのだ。渾身の出来だと思い投稿したり、送ってみても読まれすらされない。

 

一方で自分の作品よりも遥かに出来の良い作品は、当たり前のように目に入ってくる。

 

まあこれが来る。悔しくて本を読み漁ったり勉強もしてみたりするのだけれど、何も状況は変わらない。

そして、ある時ぷっつり切れるのだ。理科の実験でアルコールランプの火を蓋をして消すのと同じようにして、自分で火をさっと消してしまう。

 

しかし、1人でも自分の作品を褒めてくれたり、気にかけてくれるだけで創作意欲は急に湧く。私の脚本にも「とても感動した」とコメントをくれたり、とある学校から上演依頼が来たりしたことがあった。

もう飛び上がるほどに嬉しかった。

 

だから、藤野の挫折と、「上」と思っていた京本からの言葉と「雨の中の舞」は心底共感できた。

この共感は、特に藤野へ感情移入せざるを得ず、これが映画終盤一気に感情を揺さぶられる要素ともなった。

 

懸命に抗い進もうとする姿に心が打たれる

美大での事件後、絶望する藤野。

そして、京本の部屋で「京本の言葉」通りに振り返ると、扉に藤野のサインが書かれたはんてんが掛かっている。

 

京本は部屋から出るたびに、初めて部屋から出た時にもらった藤野のサインを見ていたのだ。藤野は京本を部屋から出さなければと後悔していたが、「そんなことは全くないんだよ」と京本が語りかけているように思えて涙がぐっと溢れた。

 

そして、描く意味を見失いかけた藤野は、描こうと思った原点を「振り返り」、思い出したことで歩き始める。

「ルックバック」のタイトルの意味合いを怒涛の勢いで畳みかけながら突きつけられる。

 

この絶望に懸命に抗いながら描き続ける藤野の背中が、エンドロールと共に映し続けられる。そこにこのLight songが流れる。

少しづつ日が暮れて時が進む中でも描き続ける藤野の背中を見ていると、自然と涙がすっと流れる。

 

エンドロールが終わり、恐ろしく長い余韻がずっと心の中に響いて、「ああ…良い映画観れたな...」という思いを噛みしめる。

最終的には自分もまた「惰性ではなく、自分なりの原動力を持って進みたい」と強く思わせてくれる。

 

エキサイティングに心を踊らされる作品ばかり観てきた気がするが、こうまでエモーショナルな意味合いで心を動かされる作品は、自分の中では久しぶりだった。

 

最後に

ということで私は本当にこの映画を観れて良かったと思っている。

しかも、これがアラサー手前のある程度の大人の段階で観られて良かった。挫折の数が多いだけこの作品は響くように思うから。

 

そういえば、ルックバックと耳にして最初に思い起こすオアシスの名曲。

原作漫画にもこの曲を示唆するような表現がある模様。

直訳すると「怒りの中で振り返らないで」。

 

確かに「怒りにとらわれて後ろばかり見ていないで、前を向いて進もう」ということをこの曲は歌っていて、京本からのメッセージとも、藤野の決意ともとれるような気がする。

 

いやはや改めて「ルックバック」のタイトルを冠した藤本タツキ氏すごいですな。

原作もこれから読んでみよう。

 

 

長文にお付き合いいただきありがとうございました。

 

では、本日はここまで。

 

9

富士フィルムニ思フコト

 

富士フィルムの24年3月期決算発表後、若干カメラ界隈でプチ炎上している。

その件について、私もいち富士フィルムユーザーとして思う所があったのだが、意外とネット上では同じような考えの方が見当たらなかったため、少々書き連ねてみた。

今回は長文となります。ご容赦くださいませ。

 

 

 

決算発表でプチ炎上している理由

私自身も「ん?」と思う点だが、他にもネットの意見などをみていくと大体下記3点が 

プチ炎上している理由ではないだろうか。

 

①納期が不明でいつ手に入れられるのか分からない

②①のような在庫状況を適正だと富士フィルムは認識しているようだから

③ライカを引き合いに出しながら、古い機種も含めて価値が高いブランド力を身に着けたいという発言。加えて、その方法が在庫を絞る品薄商法のように受けとれるから。

 

そう、いまフジのカメラは本当に手に入らない。

mall-jp.fujifilm.com

5/12現在、フジの直販サイトで買えるカメラは無いし、他のショップもわずかに1機種くらいであれば在庫がわずかにあったり、というレベル。

 

確かに私自身もこの状況でその発言は不満を爆発させるのでは...と思う反面、致し方ないのかなあとも思う所がある。

それは、私が身を置く自動車業界でも似たような構造を抱える所が多いから。

 

こちらは富士フィルムの売上高における地域別比率。

富士フィルムホールディングス(株) 2024年3月期 決算説明会資料より引用


国内の比率は約35%。

これはヘルスケアなどの全セグメントを含めたもの。つまりカメラを扱うイメージング事業の国内比率は、より低い可能性が高い。

 

しかも、これからさらに少子高齢化が進み需要の減少は避けられないという…。

それでは、そんな絶対数自体も少ない国内市場ってどうなのだろうか?

 

国内カメラ業界全体の傾向 趣味性と高級路線への傾倒

もう4年前になってしまうが、こんな記事を投稿したことがある。

blue-rock53.hatenablog.com

 

当時はオリンパスがカメラ業界を撤退したり、ついにカメラ業界もオワコンなのかという少し暗い雰囲気があった。個人的にもそもそもカメラ業界ってどういう変遷だったのか、気になったから簡単に調べてみたのだった。

 

結果現在のカメラ業界は、1980年よりも前ごろの趣味性が高く、高級路線というカメラが「嗜好品」だった時代に戻りつつあるという結論だった。

そもそもカメラがなじみ深くなったのは、80年代から2010年頃まで一気にカメラの大衆化が進んだから。

 

80年代から90年代中頃まではフィルムのコンパクトカメラが、90年代から2010年頃まではコンデジカメラが、その大衆化の役割を担った。

しかし、以降はスマホの登場で一気にカメラの需要が落ちた。これが現在に至るまでの大まかな流れなのだと思う。

 

実際に成功したフジの戦略

ということで、国内はよりニッチな趣味性が高く、高級趣向路線になりつつある。

恐らく国際的にもこの方向性は同じなのだろうが、需要量が圧倒的に違う。

 

その方向性に乗ったINSTAXやGFX100をはじめ、X100VIも大ヒット。

加えて、需要が旺盛な海外への供給量を増やしつつ、元々の需要が少ない国内は余剰在庫が出ないよう管理することで、供給量を最適化した。

 

そして、振り返ってみるとフジ製品ラインナップや売り方の方向性はやっぱり当たっていそう。

富士フィルムホールディングス(株) 2024年3月期 決算説明会資料より引用

富士フィルムの各セグメント中、24年3月期で一番稼いだのは、以外にもイメージング事業だった。

結果としてもフジの戦略は当たったのだろう。

 

ここまでを踏まえて富士フィルムニ思フコト

まず第一に富士フィルムの株を買っていたらきっと喜んでいただろうということ。

この縮小しつつあるカメラ業界の中でしっかりと利益を出し、稼ぐ力を生み出す戦略は称賛に価すると思う。

写真機としての在り方を再度見つめなおされ、性能進化をしながらサイズダウンも果たしたX-T5も売り上げに貢献しているはず

加えて、国外と国内の需要の差を考えれば、今の売り方は非常に合理的だろう。

車だって、基本的に海外の需要が多く、しかも一大マーケットの北米は在庫を置いてその場で売るというまさに「家電的な」売り方が基本。

しかし、日本は受注生産方式が基本だ。

そもそもマーケットによって売り方を変えるという形は、全然ありだと思うし、人口減の国内市場を考えればその方が良いと思う。

 

そして、なるべく値引きを抑えて機種の価値を高めるという考え方は、機種の人気が落ちにくく、ユーザーが新機種への乗り換えをしやすく(下取りが高くなる)なるだろうし、嗜好品としてのカメラの在り方を再定義するという上でも有りだと思う。

となると、在庫を常に用意しておくという売り方から脱却するというのは、個人的には全然納得できる。

 

しかし、その先にある富士フィルムのブランドとしての在り方は「ライカ」のようなブランドなのだろうか?

1つの製品が末永く愛されるようなカメラブランドを目指したいということなのかな?と勝手に解釈したが、これは富士フィルムからの正式なブランドステートメントを待ちたいと思う。

確かにレンジファインダーのラインナップは充実しているけれど…

でも、仮に1つの製品が末永く愛されるようなカメラブランドなのだとしたら、顧客への納期の提示や修理対象機種の範囲拡大はすべきなのではと思う。

大きくまとめると私は下記2点が改善されるのならば良いなとつくづく思う。

 

・国内は完全受注方式にして「今注文で何ヶ月先に入手できるのか」を明示する。

・2世代前になっただけで終わってしまう修理対象機種もせめて3世代くらいは広げて欲しい。

 

実際私の使うX100Fは、ハイブリッドファインダーが故障してしまったのだがもう修理受付不可なのだ。

かといって新型のX100VIはいつまでたっても納期不明だ。

最近登場頻度が急に落ちたのはハイブリッドファインダーの故障のため...

今使っている機種を愛していくにしても修理できない、新しい機種を買おうにもいつ手に入るか分からない、それではせっかく向かおうとしている方向性に説得力と一貫性が無いように見えてしまうと思う。

 

私が富士フィルムに移行したのは、こうした時代の移り変わりの中に道具としての良さを追求するという変わらない点と、ドラスティックに方向性や攻め方を変えていく企業としての在り方に共感したからだ。

ぜひ、良い点はそのままに新たな筋の通った将来像を見守っていきたい。

 

素人の雑文でございますが、長文失礼いたしました。

 

では、本日はここまで。

 

古のSIGMA DP2と散歩しながら今後のコンデジ運用を悩む

かれこれ10数年前のカメラになるSIGMA DP2

中古で手に入れてからいまだに現役でいる。その写りと携帯性に魅了されてプレミアムコンデジというカテゴリーも好きになってしまい、FUJIFILM X100Fを所有することにも繋がった。

 

丁度先日発表されたX100VIは、100Fの後継モデルになる訳だが30万円近い価格等が物議を醸している。

コンデジに関しては古い機種しか持ち合わせていないからこそ、新型も気になりつつ、今後のコンデジ運用をどうしたものかと悩んでもいる。

そんな雑多な思いを抱えながら古のDP2で東京都内を巡った。

 

 

 

神保町から九段下へ

久しぶりにやってきた神保町。初めてのカメラを手に入れた学生時代、お金が無いからとりあえず歩きながら見たものを撮ろうとよく訪れた。

表の大通りに面した部分を洋風の建物に見えるようにするいわゆる「看板建築」の生き残り。

もう数は少ないけれど神保町の辺りにはまだ残っている。

そのまま一駅歩いて九段下へ。

 

旧軍人会館であり、二二六事件の際には戒厳司令部も置かれた九段会館東日本大震災の際に天井崩落事故があってから、東急不動産に買い取られ2017年に九段会館テラスという複合ビルに生まれ変わっている。

いやはやカッコ良い建物だ。このロビーに入ると自然と背筋が伸びる。

 

九段会館の解体工事の際に出てきた基礎の柱脚。この中にコンクリートと鉄骨の柱があったようだ。

そして、改めてこういった無機質な人工物とDP2の相性が良いことに気づく。

この小ささでこれだけ写って。それでもってこの雰囲気はDP2でないと出ないのだ。

特に冬場はコートのポケットに手と一緒に突っ込めるのだから、散歩自体の邪魔にもならず、より楽しい。

 

根津神社から日比谷へ

では、自然と調和している神社ではどうかというと、やはり空気感も切り取られているような雰囲気は同じで素晴らしい。

これが10年以上前のコンデジなんて信じられるか。

X100Fも楽しいのだが、携帯性はさすがにDP2には敵わない。

メインのレンズ交換式一眼レフを持ち出すと、確実に写真を撮るという行為がメインになってしまう。それはそれで楽しいのだけれど、肩ひじ張らずに街を眺めたり、色々なお店を巡ってみたりという場面には、やはりコンデジが最適な気がしている。

肩肘の張らなさがいつもとは違う写真を撮らせてくれると感じる場面も多い。

 

エスカレーターを降りながら何気なく撮った写真。これなんてまさにそんな写真だ。

手前のカーブを描く梁のような部分と奥の直線的な柱の組合せ、光の雰囲気が面白そうで何となくシャッターを切った。X-T5だったら撮ってないかもしれない。

これがX100Fだったらシャッタースピードのダイヤルをグリグリしたり、アナログ操作を楽しみながらぶらぶらして満足度を高める。

そう考えるとそれぞれしっかりキャラクターの立ったラインナップを揃えているんだな、と自分で感心してしまう。

 

小ささの中に尖った魅力が欲しいのかも

そうか。結局コンデジに求めるものは、片手におさまる小ささの中に尖ったキャラクターを求めているのだな。

当たり前の結論なのかもしれないが、こうして自分の中で咀嚼する作業は私の中でとても大切にしている。

では、そうした結論の下に見るX100VIはどうかというと、価格の割にあまりそそられないという結論になってしまうかも。

DP2とX100Fをしばらく大事に使いながら、気ままにそそられるカメラを探していきたい。

 

お付き合いいただきありがとうございました。

 

では、本日はここまで。

 

雪景色の浅草で身体を凍らせ絶品うどんで解かす

東京で雪が降ったらどうするべきか。

カメラを持って飛び出そう。

と思っていたのだが、降りだす当日は想像以上の降雪で帰れなくなる前に家へ帰還。

ということで雪も解け始めた翌日に浅草へ向かった。

 

 

雪への情緒は万国共通?

雪国の方々にとっては天敵と言っても過言ではないと思うが、千葉で生まれ育った人間はどうしてもはしゃいでしまう。

そして、雪がつくりだす雪景色に対してとても情緒的になってしまう。

海外からの観光客の方々もそれは同じのようで、いつもよりもあちらこちらで写真を撮りあっている人たちがたくさんいる。

 

やっぱり東京の雪景色は特別で美しく楽しい。

見慣れた景色に氷が降りかかっただけなのに。

 

しかし、見慣れているからこそ小さな変化が気になってシャッターを切るのかもしれない。それを記録したいという意思が、無意識のうちに身体中にすりこまれているのだと思う。

 

思い返せば6年前の大雪の時も、通学のカバンにカメラを放り込んでこんなことをしていたな。

 

そして、6年後の今もソフトシェルのフードを被って傘もささずにカメラで写真を撮っている。成長しない。

いやそうでもないかも。6年前はそのあと風邪を引いたけど、今年は引かなかったからやっぱり成長している。

 

とかなんとか思い出しながら、人の流れを観察しながら普段とは少し違う仲見世を撮るのが楽しい。

 

雪の本堂を見た後は、絶品の鶏わかめうどんで身体を解凍

本堂前もたくさんの人。

 

雪かきをするユンボ五重塔。何でユンボで集めてるのだろうと思ったら…

トラックでさらに運び出しているようだ。浅草寺の敷地内のどこかに集積しているのだろうか。さすがについていかなかったけれど。

だんだんとシャッターを切る指の動きが悪くなってきた。寒い。

少しづつ駅の方向へ撤退を開始。途中のお店でお昼を食べよう。

 

ということで、何度も見かけてはいるけれど素通りしていた「竹庵」様へ。

何といっても暖かいうどんに惹かれてしまった。

そして、私が頼んだのは鶏わかめうどん。ありそうでなかなかないメニュー。

 

これがめちゃくちゃ旨い。鶏肉は皮がすべて剥かれていて脂っこさはないが、鶏の旨味と甘さを感じる脂がしっかり残っている。そして、カツオだしがしっかり効いていて、鶏とカツオのダブル旨味攻撃をしかけてくる。

わかめの磯の香りもアクセントになって全然食べ飽きない。
飲みの後でもわざわざ浅草に寄ってこれをすすりたい。

最後に薬味のしょうがを全部入れて一気に残りのうどんをすする。先ほどまで凍りついていた身体がすっかり解凍されている。

 

ああ最高だこれ。

また新しい浅草の魅力を体感できたかもしれない。

 

では、本日はここまで。

 

さらばKマウントレギュラー陣!

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出会いあれば別れあり。

Xマウントをメインに移行していくにあたり、KマウントのAPS-Cレンズは手放すことにした。とはいえ、私はかなりレンズを絞っているため数は少ない。

 

でもやっぱり別れは寂しい。

今回は彼らの供養記事だ。

 

 

HD DA 20-40mm f2.8-4ED Limited WR

まずは彼から。

 

使いやすい焦点距離に防塵防滴機能つき。

このブログでの登場回数も多く、お馴染みの1本だった。

 

blue-rock53.hatenablog.com

 

中でもこの辺りはお気に入りの写真たち。

blue-rock53.hatenablog.com

 

暗所での粘りや、濡れ感の質感がとても好きだった。

blue-rock53.hatenablog.com

 

そして、何より見た目がカッコ良い。

色々な思い出が思い起こされてくる。

独特の焦点距離やこの見た目もPENTAXの独自感が強いため、放出も悩んだがここはきっぱりとけじめをつけようと。

 

元気でな…。

 

DA★55mmF1.4 SDM

続いては彼。

手に入れたのは何だかんだで1年半前くらい。

 

登場回数としては少ないのだが、ここ1年くらいで絞ると頻度としてはかなり高い。

blue-rock53.hatenablog.com

 

入手するまでは、何となく40mm付近の焦点距離の方が得意で、50mm付近は狭くて苦手感があった。

blue-rock53.hatenablog.com

 

しかし、いざ使ってみるとこの55mmというか35mm換算でいう85mm付近というのは何と楽しいのだろうと目覚めた。

狭い画角で切り取る楽しさ。

blue-rock53.hatenablog.com

 

もちろん、ヴェルナーがやってきてからポートレート的な写真も増えたというのもある。

blue-rock53.hatenablog.com

 

いずれにしても、Xマウントでいきなり56mmを買う気になったのは、このレンズのおかげだ。

 

ありがとう。

 

 SIGMA APO 70-200mm F2.8 II EX DG MACRO HSM

最後は彼。

登場回数としてはかなり少ない。

 

なかなか長物を持って撮りに行くことが少なかったのもあるが…。

それでも、とっておきの飛び道具として彼がいることは心強かった。

 

このブログを開設する前には、このレンズをつけて羽田周辺で飛行機を撮ったりもしていた。

 

blue-rock53.hatenablog.com

 

 

そして、このレンズで初めて憧れのモータースポーツを撮りに行けたことが一番の思い出。もう一回くらい撮りに行きたかった。

blue-rock53.hatenablog.com

 

次はXマウントで同じような焦点距離の物を必ず買おう。

その決意として、こちらも泣く泣く放出。

 

 

彼らと駆け抜けた日々は、このブログはもちろん、私の頭と心にしっかり刻まれている。

また新たな場所でしっかり愛されるのだぞ。

 

でも、やっぱりPENTAXはやめられない。

K-3とFAレンズやらフィルム時代のレンズは手元に。新しい思い出を刻んで参ろう。

 

では、本日はここまで。

 

発掘されたフィルムにはあの日のネモフィラ

 

定期的に我が家で発掘される撮影済みフィルム。

いったいどこで何を撮ったものか…。この4月は引っ越しがあり、その際に発掘されたフィルムだ。

今回は発掘フィルムに記録されたいつの日かの記憶をたどる。

 

 

意外と最近の記憶

フィルムはロモのスタンダードなこいつ。

shop.lomography.com

 

時々買うフィルムだから、「あれぐらいに買ったやつ」というあたりのつけ方ができない。

よって、何が写っているのかさっぱり見当がつかない。

ということで、とりあえず現像に出してみた。

 

すると、案外最近の記録だった。

↓昨年のひたち海浜公園ネモフィラを撮影した記録だった。

blue-rock53.hatenablog.com

 

1年前ではないか。時々2~3年熟成された撮影済みのフィルムも出てくるから、だいぶ早めに現像できたな。

 

1年前の春を振り返る

この日は良く晴れていたなあ。

おや、この写真は先ほどリンクを貼り付けた記事のサムネと同じ構図・同じタイミングで撮っているな…。

 

そうそう。この日はK-3とMV1の2つのカメラを持っていったのだった。

 

そんでもって初めてヴェルナーと行ったネモフィラだ。

この時のヴェルナーはかなりボサボサ。

 

ヒゲもかなり茶色い。

実は、昨年の今頃からエサを変えてみたところこの髭焼けが改善。

 

最近のヴェルナーを見て頂ければその違いをお分かりいただけるだろうか。

blue-rock53.hatenablog.com

 

すっかり今は白い口髭となった。

 

ネモフィラも綺麗だったが、菜の花も丁度見ごろだった。

 

このLomography Color Negative ISO 100は、少し淡いが結構素直な色味。

箱は「エモい」感じを出しているため、色味も味付けされている感じが強いのかと思っていたのだが、きちんとスタンダードなフィルムで結構好き。

 

悪く言えば普通なのだけど、現代においてはリーズナブルな部類に入ることもあり時々買っている。

 

 

残り半分はマイカーたちであるレヴォーグとコペンの写真だったのだが、それはまた別の機会に。

さて今年はひたちなか海浜公園に行けるだろうか…。

 

ちなみに、今年のネモフィラはちょうど見ごろを迎えそうですぞ。

hitachikaihin.jp

 

では、本日はここまで。

久しぶりに新宿で終電を逃した

久しぶりに新宿で酒を飲みかわしていると、いつの間にか終電を逃していた。

新宿で終電を逃すなど大学の時以来だ。

 

やってしまったなという後悔と、どこか青春時代を思い出す高揚感。

とりあえず始発までの仮宿を探しながら、夜の新宿を歩いた。

 

 

 

終電を逃したついでに新宿の寒空の下をふらつく

昼間は暖かい日だったが、夜はすっかり冷え込んで風も冷たい。

この寒空の中どうしたものか。さすがに飲み続けながら電車が動き始める体力はない。

ネットカフェかカプセルホテルを探そう。

 

だが、せっかくなら夜の新宿を撮っておこう。

こういう時のためにカメラを常に持ち歩いているのだ。

一帯に潜むバカデカいネズミと久しぶりに再会しながら、歌舞伎町の方に歩みを進める。

ん?何だか人だかりを発見。

なんと24時間営業のケバブ屋さんではないか。

確かに酒が入った後の体には、無性にこのケバブの香りが食欲を掻き立てる。

だが、ここは我慢だ…。

 

最後までケバブに後ろ髪を引かれながら、新宿で終電を逃したらここと決めているネットカフェへ入る。

大学時代を思い出しながら浅い眠りにつくのだった。

 

途中下車で朝飯にコロッケそばをすする

ネットカフェのブースでの眠りというのは、とても浅くて快眠とはいえないものだ。

まだ少し残る頭痛を感じながら、朝の新宿を駅に向かって歩いていく。

夜にはたくさんの人が歩いていたこの場所も今は無人

 

しかし、時々同じように朝帰りをする人たちが道を歩いていく。

歌舞生活の中心まで来るとそんな人が増えてくる。

相変わらず汚い街だが、なぜか時々覗いておきたくなる。

私が生活する環境とは明らかに異質な空間だからだろうか。

また定期的にこの刺激を摂取しなければな。

寒い朝を歩いていたら温かいそばが無性に食べたくなってきた。

 

たまらず途中の駅で駅そばに入る。かけそばにコロッケを頼む。

 

立ち食いのカウンターで必死にこのコロッケそばをすする。

あああ…染みる…染み入る…。

寒い中駅そばで食べるコロッケそばからしか得られない何かがある…。

 

このコロッケそばのためにまた終電を逃したくなる。

だが、飲み会のために人生であと何回終電を逃せるだろうか?

 

 

ま、逃せなくなったら早起きして駅そばでまたコロッケそばをすすることにしよう。

 

では、本日はここまで。